牡蠣が食えたら

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お祝い返しするかしないか問題

asimino.hatenablog.com


お祝い返しとは現代日本の不思議な文化の一つである。お祝い返しは半額返しが常識とまことしやかに囁かれているがその根拠は誰も知らない。

そもそもお返しをするべきか否か。ある人は、お祝いを頂いたのならお返しをすべきといい、ある人は「お返しは気にしないでいいからね」という言葉とともにお祝いを送りつける。
お返しはいらないと言ったにも関わらずその言葉を額面通りに受けとって本当にお返しをしないでいると、あとで「あいつは非常識だ」などと触れまわる輩もいるから難しい。本当に難しいからやんなっちゃうよね。
もし私が「お返しはいらない」と言ったときには文字通りお返しはいらないっていう意味だし、お返しくらい寄越せよって相手には「お返しはいらない」なんて言わないっていうかそんな相手にはお金じゃなくてお金よりも大事な気持ちを最上級のお祝いの言葉に包んであげる事にしてるので、私から現金で貰ったときにはお返しはいらないものとして理解していただけるととてもありがたいんだけど世の中的にはそうでない人も結構いるらしい。

しかも実質的にはお祝い返しであるにもかかわらず「内祝い」という名で呼ばれている事もあったり、お祝い返しに関しては人間の本音と建前が実に良く現れていてとても面白い。

お祝い返しはいらないよって人にはお祝い返しはしなければいいなじゃないかって思うんですが、なかなかそうでもないらしくて、なによりこの問題をややこしくしているのは、「お返しはいらない」と言いながらお祝いをくれる人達にあると思う。

なにも言わずにお祝いをくれたのであれば、こちらとしても常識的(あるいは常識的と思われたい)大人として「ありがとうございます(またお返し考えなきゃいけないのか、面倒くせえからカタログギフトな)」とにこやかに受けとって、

「先日は結構な品を頂戴致しまして誠にありがとうございました。早速我が家のローテーションの要として中3日の先発をこなし今年は20勝を達成する勢いでございます。ささやかではございますが感謝の気持ちを(送るにあたり頂いた品を価格.comで調べましたところ10,000円くらいの商品でしたので失礼のないように半額の5,000円分の商品券を)お送りさせていただきますのでどうかお納めください。」

と手紙でも添えておけばまず角は立たない。これで角を立てようってんならなんだ、出るとこ出るか?そうでないならたしかに結婚して新居を探して引っ越してとか子供が生まれてベビー用品買い揃えて産休育休の手続きして保育園の申し込みもしてとかクソ忙しいときにお返しを選んだりなんて面倒くさいしなんならお返し分の金額控除してお祝い持って来いよってくらい面倒くさいけど、一応お返し送っておけば何とかなると思えば手間がかかる面倒くささはあっても精神的にはさほどでもないのでまあ許せる。(お祝い貰っておいて許せるとか言うな)

しかし、「お返しはいらない」と言う人達は一筋縄ではいかない。というか言う側はそんなに考えてないんだろうけど言われた方は結構悩む。この人お返しいらないとかそういうタイプの人じゃないよなって人が口にするワードTOP10に入ってるし。
なので「お返しはいらない」と言われながらお祝いをもらった場合に、お祝い返しするかしないか問題について考えてみたい。


「お返しはいらない」という言葉にも、贈る側と受け取る側の立場の違いがあり、同じ人でも立場が変われば受け取り方が変わる事もある。
例えば私の場合、贈る側の立場では「お返しはいらない」というのは文字通りお返しはいらないのであって、1万円お祝いを贈ったのであればその1万円はすべてその人に使って欲しいし、お返しなどのために半額を使うような事はして欲しくない。1万円を贈ったのに半額の5千円をお返しに使われてしまったのでは、せっかくの1万円のうち5千円を溝に捨てるだけでなく相手の貴重な時間を使わせて手間を取らせてしまったことでかえって申し訳ない気持ちになる。(お返しが千円だろうと500円だろうとそれは変わりない)

逆に受け取る側の立場に立ってみるとどうだろうか。
「お返しはいらない」といってお祝いをくれたこの人は果たして本心からそういっているのだろうか。単に建前として言っているだけではないか。そう思ってお返しを用意してしまうかもしれない。もしお祝いをくれた人が本心から「お返しはいらない」と思っているのだとしたら、もしお返しを用意してしまったらそれはお互いに取って不幸な事かもしれない。しかしそれは受け取る側としてはわからないことであり、そこに情報の非対称性がある。


贈る側の本心と受け取る側の行動を場合分けしてみると

  • 贈る側はお祝い返しは実は欲しい、受け取る側はお返しをする
  • 贈る側お祝い返しは実は欲しい、受け取る側はお返しをしない
  • 贈る側はお祝い返しはいらない、受け取る側はお返しをする
  • 贈る側お祝い返しはいらない、受け取る側はお返しをしない

の4つに分けられる。

さらに贈る側の評価と受け取り側の金銭的負担、その合計を加えて表にしてみた。()内は送る側の評価、受け取り側の金銭的負担、()外はその合計

欲しい 欲しくない
お返しする (+,-) ±0 (±0,-) -
お返ししない (-,±0) - (+,±0) +

表の左上から

  • 贈る側はお祝い返しは実は欲しい、受け取る側はお返しをする

この場合、贈る側は欲しいしお返しを貰うので評価は+、受け取る側はお返しをするので金銭的には-
合計では±0

  • 贈る側はお祝い返しは実は欲しい、受け取る側はお返しをしない

この場合、受け取る側は欲しいのにお返しはない、けしからんということになり評価は-、受け取る側はお返しをしないので金銭的には±0
合計では-

  • 贈る側はお祝い返しはいらない、受け取る側はお返しをする

この場合、贈る側はいらないにも関わらずお返しを貰う、残念ではあるが物をもらっておいて評価はマイナスにはならないので±0、受け取るはお返しをするので金銭的には-
合計は-

  • 贈る側はお祝い返しはいらない、受け取る側はお返しをしない

この場合、贈る側はお返しはいらない、その意を汲み取ってお返しをしなかった評価は+、受け取る側はお返しをしないので金銭的には±0
合計では+


表からわかる通りお互いにとって最も良い結果が生まれるのは、贈る側は言葉通り「お返しはいらない」と思っていて、受け取る側はそれを信じてお返しをしない場合である。むしろそれ以外の場合マイナスか、良くて±0。
つまり受け取る側にとっては、お返しをすれば±0か-、しなければ-か+、このどちらかに賭けることになる。
するとどうだろう、期待値的に考えればお祝い返しをしない方が良い選択に思えてくる。

しかし世の中には「お返しはいらない」と言われても額面通りに受け取らずにお返しをちゃんと用意する人が多いのではないか。それはなぜか。

ここで贈る側の評価にだけ的を絞って考えてみると、

お返しをした場合は、+か±0
お返しをしなかった場合は-か+
となり先ほどの合計での評価と逆転する。

贈る側がどう思っているかはわからないが、受け取る側の金銭的負担は自分のさじ加減だ。
自らの金銭的負担を度外視した場合、お返しをしておけば最悪でもマイナスにはならないということになる。物をもらって悪い気がしないとはよく言ったものだ。しかも金銭的負担と言っても元はと言えばお祝いなので懐は痛まない。つまりお返しをすることがリスクフリーの選択となり、かくして人々は贈る側がそれを望むと望まないとに関わらずお返しをするのである。
(物をもらって悪い気がしないとはよく言ったものだが、悪い気はしなくても良い気もしないことを忘れてはならない。大切なお金を使っても相手は良い気分にならず、嬉しいのはカタログギフト屋さんだけ。これは悲しいことではないか。)


ところで私は先日とあることで2人の上司からお祝いを頂いた。お二方ともお返しはいらないと言ってくださって、私は先の表に照らして悩んだのだが、結果的にお返しはしないことにした。それが正解であったかどうかはわからない。だが今回は「お返しはいらない」という言葉を信じさせてもらった。
やがて部下や後輩にお祝いをあげることになったときには、本心から「お返しはいらない」と言えるようになりたい。