牡蠣が食えたら

#牡蠣食えば のサブブログにしました。

ブクマbotとかはてなスターとか馴れ合いとか。はてなで交流は求めていなかった話

こちらの記事を読みました。はてなブログをやめるという方が、その理由のひとつに挙げているブクマbot。そんなものがあったんですね。
いや、その存在はうっすらと気になっていた。名前は知らずとも。

 で、何でこのブログにブクマつけてんの? っていうのが正直わからない。ブクマリストを見ると毎日150~200ちかくブクマをつけて回っていて、何か自動取得ツールか何か使ってるのかなーって思う。でも明確なスパムとも違うし、誹謗中傷など通報するほど悪いことはしていない。でも他のホッテントリになったところにやってくるbotと違って中の人もいるっぽいし、ただただ不気味ってだけだ。

不気味。不気味というより、悪い言い方だが目障りだ。何を書いても、どんなに適当な短い記事でも必ずブックマークしていくbot。なんでこの記事が?と最初のうちは思っていたが、無差別にブクマをしてるから理由なんてないんだろう。積もり積もってもういい加減気持ち悪いからはてなブログやめたってなるのもわからなくもない。

これは推測だけど、なんでブクマbotなんてするかっていうと理由はおそらく自分のブログの宣伝なんだろう。ブクマbotのアカウントなんてただのbotで人格なんてないんだろうと思ったら、辿っていくとちゃんとブログを書いていて驚いた。まあ内容はSEO対策とかオススメのマンガBEST20みたいなアフィブログにありがちなものだったけど、ちゃんと中の人がいるらしい。
私のブログのような月間1万PVにも満たない弱小ブログに宣伝してどんな効果があるんだよと思うが、要はブクマからの流入を企図してるってことなんだろう。ブクマを付けたらお返しにブログにアクセスしてくれてあわよくばブクマをしてくれるだろう、そしたらどんどん拡散されてPVが増えるだろう、というのを狙っているんだと思う。

まあそういうのも戦略としてはありっちゃありなのかも知れない。どれだけ効果があるのかは知らないけど、アフィリエイト収入を目的としたブログはアクセスが集まってナンボの世界。営業みたいなものだ。

はてなスターでも同じようなことが言えると思う。というのは、いろんなブログに片っ端から星を付けてまわる行為が行われている。
もちろん、記事に共感したとか面白かったとか応援したいという気持ちから星をつける人が多くを占めているのだろうが、一部ではブログの宣伝のために星を付けてまわる行為が行われていると感じることがある。確たる証拠はない。

で、そういう営業活動がはてな界隈で行われていて、嫌悪感を抱いていた。
あるいはそうやって付いた星を辿って訪問したブログが非常につまらなくて不快だったという個人的な感情かもしれない。

インターネットが発達した現代、そういった営業活動の臭いに敏感になっている気がする。みんながテレビを観て、みんながテレビCMを観ていた時代、広告はいまより身近で共通の話題にさえなっていたかもしれない。最近では広告はなるべく排除される存在になっているように思う。それに伴って広告の臭いを脱臭した広告、所謂ステルスマーケティングやネイティブアド(記事広告)などが発達し、そして批判の対象にもなっている。

冒頭のエントリに、

でもその「内輪ノリ」にはそういう「感情」が感じられない。言葉だけ見ると「面白いですね」「参考になります」だけで悪いことは書いてないのに、「感情」が伴っていない。傍から見るととっても不気味。

という記述があったが、思うにそれらの内輪ノリに見えるブコメなどはおそらく営業活動の一環であって、感情が伴っていないのは必然である。
そこに感じる不気味さや気持ち悪さは、脱臭しきれていない営業活動の臭いに、見え隠れする下心に原因があるのではないだろうか。


とはいえ、人のことを気持ち悪いだのなんだのと言う資格は私には無い。

このような記事を読みました。

なるべく読者になってくれそうな人、星をくれそうな人を中心に読者登録していくことにしたのである。これらは突き詰めれば、すべて売名行為である。やがて、私のブログには星がつき、たまにはコメントも寄せられるようになった。

正直に言うと私も同じことをしていた。特に新しく始めたばかりのブログを探しては星を付け読者登録をし、お互い頑張りましょうみたいな雰囲気を醸し出しながら営業活動に励んでいた。このブログは始まったばかりだけど、なかなか面白そうだから今のうちに読者になって顔を売っておけば、もし人気がでたら自分も引き上げてくれるかもしれない。そんなスケベ心を持っていた。
上記エントリでは「馴れ合い」という表現をしていたが、ある面では営業活動と同じような意味だと理解している。
とにかく私は積極的に馴れ合っていた。

しかし、あるとき気がついた。


「誰かと交流したくてブログを書いている訳じゃない」


コメントしあったりはてなスターを付けあったり、そういうFacebookmixiの延長みたいなことをしたいなんて全く思っていなかった。
ただ書きたいことを書いて、誰かが読んでくれる場所があればよかった。もちろん書くからには面白かったとかつまらなかったとかなにかしら反応があったら嬉しいけど、それによって新たな交流が生まれたりコミュニティに属したりコミュニティを形成したりといったことは全く求めていない。

はてなのサービスには確かにSNS的なところがあるけれど、私がはてなブログを使っているのは単に検索からのアクセスに強いという理由だけでSNS的要素はどうでもいい。
一時期はてなスターボタンを消したこともあったが、それもスターを付けてくれようと思った人がいたときにもしボタンがなければブックマークしてくれて拡散してくれるんじゃないかというスケベ心に基づく仮説を検証しようと思ったからで、特にそのような効果がないことがわかったのでやめた。

読者登録したお礼や義理で登録してくれた読者など、いらなかった。彼らはこちらが義理を果たさなければやがていなくなってしまうのだから。
私はこのはてなブログにおいて義理で付き合う関係を作ろうなどとは思っていない。
事実、営業活動に熱心だった時に読者登録したブログのほとんどは内容がつまらなかったため読者登録をやめてしまった。


私はブログをやめるわけではないし、これからも誰かの書いた面白い記事にはスターを付けるしなにか感想があればブコメもするけど、交流をするつもりはいまのところないので勝手にやらせてもらう。

けれどそれはこのブログが書きたいことを自由に書くというだけのブログだからできるのであって、アフィリエイトが目的のブログはそうではないのだろう。
このブログはGoogleアドセンスAmazonアフィリエイトも貼っているけど、決してそれが主目的ではない。これは明確にしておきたい。広告には広告臭を存分に出していきたい。
私は所謂「アフィブログ」と「アフィリエイトの貼ってあるブログ」は別物であると思う。アフィブログアフィリエイトのために記事を作成する。記事はしっかりと書かれているように見えるがあくまで主役は広告で広告をクリックさせることが目的である。広告>内容 の主従関係になっている。一方後者は主役は記事の内容であって広告ではない。どうせなにか書いて人を集めるんだったら多少の小遣い稼ぎくらいしても罰はあたらないだろう。そんな程度のものだと思う。ちなみにこのブログのアフィリエイト収入は幼稚園児のお年玉にもならない。

はてなアフィブログももちろん否定してないからアフィリエイト主体のブログも沢山あるだろう。アフィブログを運営するには馴れ合いがどうのとか言っている場合ではないのかもしれない。

馴れ合いを否定して、他人のことなど気にせず自分は自分の書きたいように書き、そしたらおのずとPVが集まってアフィリエイトでガッポリ。なんていうのは幻想なんだと思う。

さきほどのエントリから引用させていただくが、

上記のような行為を少しでもしたことがある人が、「馴れ合いは気持ち悪い」と言ったら、それは田舎者をバカにする東京人の実家が田舎だった、というのと同じ滑稽さを感じる。

まさに耳が痛いとはこのことで、私はそのような行為を行ったことがあるし、田舎者を馬鹿にはしないけど田舎から東京に出てきた田舎者なので、馴れ合いを馬鹿にしたり気持ち悪いと言うと滑稽になってしまう。

だが、気持ち悪いからやめますという人に対してはそれもいいんじゃないとは思う。そんな感じです。



今回のエントリ。こんな風にネット上で話題になってるテーマについてあれやこれや書いたり誰かのブログに言及したりと、とてもはてなブログっぽくてとても気持ち悪くなってしまった。
気持ち悪いついでにはてなスターをつけたりブックマークしてくると私が喜ぶ。bot君もブックマークして良いぞ。以上です。