牡蠣が食えたら

#牡蠣食えば のサブブログにしました。

「新しい文章力の教室」を読んで美味しいラーメンを作ろう

最近いくつかのブログで紹介されているのを見かけて面白そうだったので購入した。



この「新しい文章力の教室」の著者はナタリーというwebメディアの編集長をやっていた人物らしい。私はナタリーというのは知らなかったが、本の内容とは直接関係ないのでナタリーを知らなくても問題なかった。ナタリーはエンターテイメントやサブカルチャーに強いYahooニュースみたいなものという認識であってますか?
知り合いにYahooニュースを書いている人がいるが、毎日あれだけのボリュームの記事を書くのは大変だよなと思う。この本は毎日何十本という記事を一定の品質を守りながら量産するwebメディアを運営してきて蓄積された、文章力に関する知見を公開している。


「新しい文章力の教室」は5つの章に分かれていて、ざっくり言えば第1章は「書く前に構成と内容を決めましょう」という書く準備について紹介されている。*1初歩的ともいえる内容だが、速く、正確に、大量にを求められるwebの世界では必要不可欠。なによりこれを身につけることで仕事が格段に速くなるし楽になるはず。仕事が楽になるのは素晴らしいですね。
言い回しや小手先の技術ではなく、取材に裏打ちされた事実の積み重ねと論理的な構成で文章を書けと説いている。


第2章以降は実践的な内容で、語句の選択など読みやすい文章を書くための具体的な方法について解説されている。

例えば、

  • 便利な「もの」「こと」の多用を避ける
  • 指示語(こそあど言葉)は最小限に
  • スピード感をコントロールする

など。

詳しい内容は省略するが、本書の価値はむしろこちらにあった。

文章の添削や校正をする機会のある人は、専業でなくとも一読の価値はある。むしろ作家や編集者といった文章のプロは、日頃から鍛えられているので今更必要ないかもしれないが、そうではない人にとってこそ有用だろう。本書に書かれているような技術的なことやルールは、知っているだけでたぶん役に立つ。作家じゃないから文章力なんて必要ない、なんてことはなくて、専門的技術を持った職人でもない限り、仕事とは文章を書くことといっても差し支えない。少なくともホワイトカラーの場合においては。

添削と言えば、つい先日まで新人研修と称して私のいるチームに新入社員が仮配属されていて、新人に毎日書かせる報告書を私が添削していた。報告書といっても社内向けなのでそこまで神経質になることはないが、気になる表現がある。それは「思料する」という言葉。新入社員が好んで使う言葉の一つで、報告書や記録を書かせると、「〜は、〜と思料される。」という法学部生の答案みたいな文章を書いてくる。別に意味は間違っていないが、もっと平易に書いていいのではといつも思う。しかしこれはもう好みの問題なので、私は特に指摘はせず、誤字脱字や事実誤認が無いかといった確認をする程度であとは自由に書かせてしまう。


本の内容に話を戻す。

ひとつ気になったのは、誠実さとキャッチーさとのバランスについて。
キャッチーさとは対象となる相手の興味をどれだけ惹けるかということ。
誠実さを優先すると様々な可能性に言及しないといけないためどうしても含みをもたせた書き方になる。逆にそれらの主題とは関係ない部分を敢えて削ぎ落とすことで、ターゲットへの訴求力が高まる。
これはどちらが正しいということではなく媒体によって変わる。webメディアの読者は根気のある読者ばかりではないので、人を惹きつけて最後まで読ませようとしたらキャッチーさは必要だ。

インターネットのニュースサイトを読んでいて、おや?と思ったり、これは正しいのだろうか?と思ったりすることはよくあるが、これもひとつにはキャッチーさを重視した結果だと言える。ナタリーのことを言っているわけではありません。


先ほど書いた「最後まで読ませる」というのは本書からの受け売りで、「新しい文章力の教室」では良い文章とはなにかという問いに、完読される文章だと答えている。この本の例えを用いると、完読されない文章は最後まで食べきれないラーメンである。量が多過ぎたり、伸びていたり、求めている味じゃなかったり。マシマシを頼んでおいて残すのは論外。

求めている味じゃないからといって途中で食べるのをやめるようなことは、よっぽど不味くない限り私はやらないが、それはお金を払って食べるラーメン屋での話。原則無料で記事が読めてしまうwebメディアの世界では、少しでも口あたりが悪ければすぐに客は帰ってしまう。ちょっとでも長い文章を書くと「三行で」と言われる。


ブログはどうか。個人が書いているブログは、完読という点で見れば食べきれないラーメン博物館のようなもの。しかしだからといって魅力がないわけではない。塩かと思ったら食べ進めるうちに味噌になったり、ゴムみたいな固い麺を食わされたり、ラーメンと言っているのにうどんだったりするが、その中からハマる一杯を見つけたときの感動は大きい。また中毒性がある。

私もできることなら誰かに美味しいと言ってもらえるラーメンを作りたいし、誰かの作った美味しいラーメンを食べたい。願わくはメンマを抜いてほしい。

*1:この記事は考えながら書いてしまった。反省。