牡蠣が食えたら

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エレベーターの閉ボタン

エレベーターを降りるときにわざわざ閉ボタンを押していってくれる人がいる。それはエレベーターに残された人のために、一秒でも早くドアを閉めてあげたいという思いやりの心。その心は素晴らしいので是非皆がその思いやりの心を持って2020年のオリンピックを迎えてほしい。だけどあの行動は、時に残された人を不可解な気持ちにさせてしまうので、オススメできない。彼らは閉ボタン押したあと自分の腕がドアのセンサーに反応し、結局またドアが開いてしまうことに、気づいているのだろうか。

いま話しているのは、自分の降りたい階に着いたとき、まだカゴの中に人が残っていると、残った人は自分が降りたあときっと閉ボタンを押すだろうからそれなら代わりに押してあげようという行動である。このとき身体はエレベーターホールに出ていて、腕だけをエレベーターに残したまま閉ボタンを押すや否やサッと腕を引っ込める。非常に素早い動作なのでそれなりに体力が必要と思われるため、おばあちゃんがやっているのは見たことがない。だいたい30代〜40代の男性に多い(当社調べ)
しかし実際には思ったようにドアは閉まらない。いまのエレベーターはドアにもセンサーが付いていて、閉じる動作中にドアを人や物が横切ると、それを感知して自動的に扉が開く仕組みになっている。古いエレベーターはドアにぶつからないとセンサーが反応しないが、新しいエレベーターはそれに加えて赤外線かなにかのセンサーが付いていてより安全になっている。だから良かれと思って降りざまに閉ボタンを押しても、腕を引っ込めるときにセンサーが反応して結局開いてしまうので意味がない。降りざま?降りざまなんて言葉あるのか?振り向きざまみたいに使ったけど降りざまが正しいのかわからない。降りるとほぼ同時にという意味のことを言いたい。エレベーターに残された人は「せっかくあの人は閉ボタンを押してくれたけどまたドア開いちゃったなあ」となんとも言えない虚しさに包まれる。なのでオススメしない。ついでに古いエレベーターならたしかに意味はあるんだけど、これはこれで単純に挟まれたら危ないのでやめた方がいい。

閉ボタンと言えば地元を走る在来線の車両のドアには開閉ボタンが付いている。田舎や寒い地域では一般的だ。寒い時期には暖房効率を高めるために、余分なドアは開けない。たまに知らない人が駅に着いても開かないドアの前で立ち尽くしていることがあるがそれはまだいい方。乗り込んだ人が閉ボタンを押さずにいると車内から容赦ない視線を浴びることになり、車内に冷たい空気が流れる。
地方の列車では乗り降りのときに閉ボタンを押すことがおそらく推奨されている。

エレベーターは主に屋内なのでその必要はないし、押したところで結局開いてしまう。最近のエレベーターはすごい。エレベーターの事故というとつい垂直落下をイメージしてしまいがちだが、現代のエレベーターには何重にも安全装置が付いていて、ロープが切れても停電しても垂直に落ちることはないらしい。先日エレベーター業界の人と話していると、エレベーター業界ではエレベーターがフロアに到着して停止することを着床というらしく、彼らがあまりにも普通に着床着床言うもんだから、なにも問題はないんだけどなんだかおかしくなってしまった。おそらく着床という言葉を日常的に使うのは、エレベーター業界の人か産婦人科医か中学生しかいないだろう。中学生にとってはそういうちょっと聞きなれない保健体育の教科書で見つけたような単語は大好物だ。「停電時自動着床装置」なんて言った日には学年のヒーローになれること請け合い。このブログを読んでいる中学生諸君は是非使ってみてほしい。