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井之頭五郎はなぜ一人で食事をするのか 孤独のグルメ2巻の感想

 コンビニでレジに並んでいると、私の前に立つ高校生がおでんを買おうとしている。
「大根ひとつ、あと……」
 すかさず店員のおばあちゃんが、
「全部でいくつ?」
 と食い気味に被せてきた。後ろにいた私は思わず戸惑った。
 しかしおばあちゃんは続けて、
「2個だったらカップに入れるけど多かったら大きい容器だからね」
 と説明した。
 おばあちゃん店員はなぜそんなことを被せてきたのか、それは容器のサイズを決めるためであった。大根と白滝しか買わないのなら小さいカップに入れればいいし、5つくらい買うなら大きい丼型の容器に入れる必要がある、それを予め決めておきたい。
 店員の気持ちはわかるけれど、買う方としてはなんか違う。やはりコンビニのおでんというのは、選ぶ楽しみ、というか迷う楽しみがある。おでんなんて買うつもりはなかったのにレジの前に来たらダシのいい香りに誘われて、つい買ってしまうこともある。そんなときに、
「おでんください。全部で5つ。大根と白滝とちくわとコンニャクと、あと卵もください」
 と、綺麗に注文なんてできないよなあ。レジの前で悩む。それはそれで仕方がない。
 一方、店の立場としては効率的に客を捌きたいし、容器のロスも減らしたい。それもわかる。どちらが悪いというわけでもないが、こういうシーンはモヤモヤする。しかし当事者はモヤモヤするだろうが、端から見ている方は笑えてしまう。客の期待と店の思惑とのズレというか、行き違いというか。どっちも悪くないのに! というもどかしさがまたいい。

 このような客の期待と店とのズレを楽しめるのが「孤独のグルメ」である。
 孤独のグルメの場合は客側の視点で描かれているから必然「客の期待が外れる」面白さではあるのだが、客の期待と店側の認識とのズレ、ギャップが生み出すおかしさが描かれており、それがこの漫画の魅力である。

 「孤独のグルメ」はグルメ漫画ではない。グルメ漫画と呼ぶにはほど遠いコンビニ飯や、朝から飲める居酒屋や、路地裏の寂れた定食屋なんだか焼鳥屋なんだか喫煙室なんだかわからないような店が出てきて、それを「ニッチでローカルな飲食店」を紹介するグルメ漫画だと位置づけることもできなくはないが、それはむしろ客と店とのギャップを描き出すための舞台としてそういう店が選ばれていると言える。
 いい意味でも悪い意味でも大衆に迎合しない、客に媚びない、店と客とを対等な人間同士として扱ってくれる、そんな店が登場する。

 以前豆かんを作った記事で引用した孤独のグルメ1巻(孤独のグルメ1巻なんて存在しないんですが、2巻が発売されたので最初に発売された方を1巻と呼ぶドラクエ方式です)のシーンを再度引用したい。

 …井之頭五郎は客に紹介された甘味処へ向かっていた。「甘いものは好き?」と聞かれさっきは素っ気ない返事をしたが、正直言うと甘いものには目がない。あずきや蜜など和食系は特に。しかし3時間以上も長話に付き合わされて、腹がペコペコだ。甘味は好きだがまずは腹ごしらえをしたい。甘味処へついたら、煮込みうどんやら雑炊やら釜飯やら、そいうったもので腹ごしらえをして、デザートにあんみつでも食べよう。
 五郎は店に入った。内装は田舎のそば屋を思い出す、簡素な椅子が並べられたカウンターとちょっとした小上がりの座敷があるだけの気さくな雰囲気漂うお店だ。カウンターに腰掛けて、メニューを確認する。やっぱりあるじゃないか、腹ごしらえにちょうどいいものが。

「スイマセン この『煮込み雑炊』をひとつください」
「あ…ごめんなさい それ来月からなんですよ。ごめんなさいね」

がーんだな…出鼻をくじかれた

煮込み雑炊はだめだったか。仕方ない、じゃあ隣に書いてあるこれにするか。

「じゃ…この『煮込み雑煮』を」
「ですからごめんなさい。お雑煮も来月からなんですよ。冬場だけの限定メニューでしてどうも」

・・・

 と言った具合である。(「ですから」ってなんだよ雑炊は来月からって言ったけど雑煮も来月からとは言ってないからな、勝手に物分りの悪い客みたいに扱ってるけど店側の説明不足だろちゃんとメニューに書いとけよ)

 これこそまさに客と店との認識のズレ。五郎は甘味処ならちょっとした食べ物もあるだろうと思っていたが、店主は雑炊がやってないなら当然雑煮もやってないに決まっているだろうと思っている。実生活でもこういった経験は誰しも少なからずあるだろう。だからこそ孤独のグルメは読者の共感を誘い、人気漫画になった。


 そんな「孤独のグルメ」の2巻が発売されるというので、Amazonで予約までして、いまかいまかと待ち構えていたのだが、結論から言うと期待外れだった。ガッカリした。
 確かに客の期待が裏切られるシーンは2巻でも描かれてはいる。例えば第1話の静岡でのシーン。静岡といえば静岡おでん。五郎が期待していたのは黒はんぺんが入ってイワシ粉のかかったオーソドックスな静岡おでんだった。しかし入ったお店は変わり種で、汁がからしになったという汁おでんと、焼き海苔はんぺんを出すお店だった。五郎は、

あーあ ちょっと店を間違ったかな

 とわかりやすく失望する。

 第7話、世田谷区駒沢公園の煮込み定食。牛肉の煮込みオンリーで酒も出さない変わったお店が登場する。そこで五郎は当然牛の煮込みを食べるわけだが、汁気の多い煮込み料理が平べったいお皿に盛られていることに対して、

それにしてもなぜこんな薄い皿に入れる
全員こぼしてるじゃないか

 内心ツッコミを入れる。

 それから第9話、有楽町のガード下の韓国料理屋で、冷麺を注文すると、

あら 寒いのに冷麺

 と店員に言われる。失礼だろそんなこというならメニューから消しておけ。私の友人も高田馬場の韓国料理屋でジャージャー麺を頼んだら「あんまり美味しくないよ」と店員に鼻で笑われていた。それを思い出した。


 まあしかしね、面白いシーンもあるにはあるんだけど、それ以上に今回の孤独のグルメ2巻は台詞が寒い。もう寒すぎるんですよ。寒い親父ギャグを狙ってやってるんだろうなというのはわかるんですが、ギャグとしても面白くないし滑り芸としても面白くない。井之頭五郎らしくもない。
 狙って滑り芸をやってるんだとしたらここに台詞だけ書いても滑り具合は変わらないと思うので以下に一部書きますし、本気で面白いギャグだと思ってやってるならそれは滑ってるのでここに書いても滑ってることには変わりないのでどっちにしても書きますけどいくつか例を挙げると

  • コバラベリー
  • なくてけっこう コケコッコー
  • なんじゃらほい
  • ナポリンナポリン
  • カルビうどんウイズミニビビンバ
  • いや実にちょうどいい韓国スムニダ
  • 昼だん大使館
  • 思いもヨルダン大使館
  • (豚骨ラーメンを指して)トンちゃん

 なんだろう、ドラマに寄せてきてるのかな。孤独のグルメ1巻の井之頭五郎なら言わないような台詞が次から次へと出てきて、それが雰囲気にあっていなくて、ただ寒い台詞だけが上滑りしていく。ドラマ版の井之頭五郎を演じた松重豊だったら、まだ似合っているのかもしれないけれど、漫画の五郎のイメージじゃない。漫画の井之頭五郎が好きなんですよ。ドラマは第3シーズンの途中までしか観てないんですが、なんか松重豊がペコちゃんペコちゃん言ってるイメージしかない。原作の久住昌之のコーナー。あれはなんですか。第2シーズンからあっちがメインになってるでしょ。孤独のグルメなのになに酒飲んじゃってるの。あれ久住昌之吉田類の酒場放浪記やりたかっただけだろ。
 だからドラマから入った人は、あるいはドラマも漫画も知っててドラマの松重豊演じる井之頭五郎の方が好みだと言う人には、孤独のグルメ2巻はオススメかもしれない。

井之頭五郎はなぜ一人で食事をするのか

 井之頭五郎は決して孤独ではない。モテない男でもない。過去には女優とも付き合っていたくらいである。ではなぜいつも一人で食事をとるのか。それは五郎が輸入雑貨を取り扱う個人事業主で、いつも一人で行動しているというのもあるが、それよりも上で述べてきた「店に対する期待が外れる」ということと関係があるような気がする。
 これは現実世界でも言えることで、安い店から高い店まで様々な飲食店で食事をしていると、期待が外れるケースというのは思った以上に頻繁に遭遇する。店が悪いという話をしているのではない。例えば生牡蠣が食べたいと思って、いつも生牡蠣を出している魚介類の豊富なレストランに入り、席に案内されてら、その日は既に生牡蠣が売り切れていた、あるいは台風の影響で入荷していない、ということがわかったらどうだろうか。そのとき誰かと一緒だったら「今日は牡蠣が食べたかったので牡蠣が無いなら帰ります」と言えるだろうか。(私は言ってしまう)
 誰かと一緒ならそんな我儘は通せなくても、一人だったらそれができる。迷わず店を出ることができる。彼女と食事に行って、店の態度が気に入らないからと注文せずに店を出たら、すぐ次の店を探さないといけない、なかなか見つからなければ彼女は不機嫌になるだろう。かといって店に残れば態度の悪い店員に我慢しながら食事をしなければいけない。自分一人だったら牡蠣が無くて店を出て、次の店も見つからず、最悪駅で立ち食い蕎麦を食うことになっても誰も文句は言わないのだ。駅そばが最悪という意味ではない。駅そばは美味い。ラーメン屋に入ってスープを一口飲んで、それがまずかったらあとはすべて残してお会計をして帰ってもいい。ラーメンが来る前に高菜を食べて帰ったっていい。誰かと一緒ならそれはできない。

 井之頭五郎は、外食をするということはしばしば期待を外されるものだということをよく知っている。しかしそれをただ受け入れるのではなく、自分でコントロールしたいと思っている。たとえ店主と喧嘩することになっても。孤独のグルメ1巻の有名な台詞に次のようなものがある。

モノを食べる時はね
誰にも邪魔されず
自由で なんというか
救われてなきゃあ
ダメなんだ

独りで静かで
豊かで……

 五郎は誰にも食事を邪魔されたくない。同席者にも、たまたま居合わせた他の客にも、店員でさえも。五郎には理想とする食事、彼の中の美学があるのだろう。幼い頃の記憶だったり、仕事の買い付けで世界を飛び回った経験が蓄積されていて、食事をするときに無意識のうちにその理想に沿って期待をしてしまう。そしてその期待に応えられるものばかりで無いことを知っているから、一人で食事をするのだ。

 しかし井之頭五郎は期待を裏切られたからといってすぐに店を出るような小さい人間ではない。期待を裏切られた先に新たな発見があることを知っている。むしろある面では期待を裏切られることを望んでいる節さえある。彼が発する「そういうのもあるのか…」はいい意味で期待を裏切られた時の台詞である。

 期待をするのも、期待を裏切られるというのも、どちらも個々人の経験に基づく極めて個人的且つ主観的な体験で、誰かと共有しにくい。目の前に置かれたタラバガニを大きいと思うか小さいと思うか、美味しそうと思うかそうでもないと思うか、それは経験によって決まる。五郎は自分が我慢できないと思ったら一刻も早く店を出たい。その時に誰かを説得などしていられない。だからこそ自分でコントロールできる自分一人で食事をするのだろう。井之頭五郎が酒を飲まないのも、鍛え上げられた肉体を持っているのも、五郎が自分自身をできる限り自分の統制下に置きたいと考える性格の現れと言える。

 最後に私が「孤独のグルメ2」で一番好きなシーンは、
 下北沢のピザ屋に入った五郎がメニューを見ると、ピザにはMとLのサイズがある。五郎は、
「Lサイズはどのくらいの大きさですか」
 と店員に尋ねる。店員は、
「直径28センチです」
 と答えると五郎が鞄から巻き尺を取り出して28センチを確かめた。
 そんなところです。


孤独のグルメ2

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孤独のグルメ 【新装版】

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