牡蠣が食えたら

#牡蠣食えば のサブブログにしました。

安売りスーパー

 近所の安売りスーパーで週に1回買い物をしている。そこは安売りスーパーだけあって商品は近所のどの店よりも安くて助かっているが、接客はまあ可もなく不可もなくといったところだ。とはいえこちらも上質な接客を端から期待などしていないし、心のこもったおもてなしを求めているわけでもないから、むしろ機械的に無愛想に接客してくれた方がありがたい。下手に個性を出そうとか、お客様を喜ばせようとか、そういう態度をとられるとかえって居心地が悪い。ついでに言えば他のレジ担当よりも目立ってやろうという下心さえ透けて見えるようだ。期待したサービスレベルに満たなかったとき、人は不満を抱く生き物だが、行き過ぎたサービスもまた不満の種となる。過ぎたるは及ばさるが如し。個人商店ならともかく、チェーンストアに求めているのは最低限の品質を担保することであり、店員の個性ではない。
 日常生活の多くの場面において、特別待遇よりも他の人と同じ対応を求めている。機械的な接客を求めている。その方が楽だ。相手が気を遣って人間味を出してくると、相対するこちらも人間味を持ち出して対応せざるを得なくなる。人間は予測ができないから何をするかわからない。特別に親しい間柄とがっぷり四つで組み合うなら、あるいは仕事上仕方なく相見えるならともかく、犬も歩けば棒に当たるレベルでエンカウントするスーパーの店員一人ひとりと人間味総合格闘技を繰り広げるなど到底やってられない。

 いつものようにスーパーのカゴ2つに一杯の商品をカートに乗せてレジに向かうと、レジには中年の女が立っていた。
「会員カードはお持ちでしょうか」
「はい」
「ありがとうございます」
 会員カードを持っていると食料品が3%安くなるので、ここの店員は必ず聞く。但し現金払いに限る。カードは入り口近くのカウンターで事前に作っておく必要があり、レジで入会を勧められることもない。店員に従ってカードを渡すと、裏面に印刷されたバーコードをスキャンして、また客に手渡す。
 安売りスーパーのレジ袋が有料なのはもはや常識だが、この店はレジ袋が必要かどうか聞いてはくれない。必要ならばレジの横に吊るされた袋の束から欲しい枚数を引き抜いて自分でカゴに入れることになっている。袋は1枚6円で売られている。いつものエコバッグを今日は忘れたので袋を2枚カゴに入れた。その間にも女は黙々と商品をスキャンし続けている。高級スーパーなら紙袋に詰めてくれるところだが、女は空いたカゴに箱入り娘のパズルのように商品を納めていく。それがこの店のやり方でおかしなところは何もない。
「アイスにスプーンはお付けしますか?」
「いえ、要りません」
 購入してすぐに食べることが予想されるコンビニとは異なり、安売りスーパーは家に持ち帰る客が大半である。スプーンを付けるか聞かれたことは一度もなかった。若干戸惑いつつも、店員の親切心によるものだと理解した。それにしてもマニュアルがないのだろうか。
「袋は2枚でよろしいですか?」
 これは聞かれたことがない。袋は確かに2枚入れたはずだが。カゴを確認するがやはり2枚にしか見えない。
「はい」
「はい、ありがとうございます。ではお会計は8,532円になります」
 財布を見ると小銭がない。仕方なく1万円札で支払う。
「1万円でよろしいですか?」
 黙って頷く。レジに1万円札が吸い込まれ、代わりに硬貨が吐き出される。店員が恭しく千円札を拡げて見せ、それを受け取って財布にしまうと今度は硬貨をゆっくりと掌の上に並べていく。釣り銭を確認し財布に仕舞っていると、
「重いのでカゴをお持ちしますね」
 と、レジの上のカゴ2つを取り上げ、サッカー台まで運んでしまった。既に女はこの郊外のロードサイドに店を構える安売りスーパーの店員が行う通常の接客を超えた、過剰なサービスをいくつも犯していた。そこまでのサービスも、おもてなしも、男は求めていなかった。カゴを運んでほしくなどなかった。頼むつもりもなかった。カゴを運んでもらって助かったことよりも、思い通りに事態が進まなかったことに男は苛立ちを感じた。
 両手にカゴを抱えてサッカー台に向かう女の後ろ姿を、男は黙って見つめていた。