変わり者になりたかった

「変わってる人になりたい」

 小学校の卒業文集の『わたしの目標』というページに書いた。押し入れの衣装ケースの裏に隠した段ボールに仕舞い込んだ消したい過去。「私って変わってるから」が口癖の、なんの取り柄も特徴も無いどこにでもいる小学生だった。本当の変わり者は自分のことを変わってるとは言わない。そんなことも知らなかった。いまでは自分は変わってると言うのをやめた。その方が変わり者に見えるから。
 世間はなかなか変わり者と認めてくれない。高校に入学してすぐのとき、普通の部活には入らないと決めて、とにかくおかしな部活がないか必死に探して見つけたのがいまのサークルだ。正式な部活ではないけれど、変わり者が集まっていそうなミステリーサークルという同好会に入った。おじいちゃんが米農家だったから収穫前の稲を踏み倒すのは抵抗があったけれど、変わり者になるためには仕方ない。でも初日に部室に行ってみたら推理小説オタクが集まってただ本を読んでいるだけのサークルだった。
 そんなに推理小説が好きなのに自分では書かないんですかと先輩達に聞いたことがあった。部長は、
「うちは文芸部じゃないからね。小説が書きたいなら文芸部に行ってくれる?」
 と言ったが、この学校には文芸部がそもそも無いじゃないか。
「だいたい推理小説が好きなことと、自分で小説を書くことになんの関係があるの? 俺は読むのが好きなんであって、書くのは別に興味がないんだよ。書くのは書きたい奴がやればいいだろ。推理小説オタクが集まって小説書くなんて『匣の中の失楽』じゃないんだから。小説好きがみんな小説書くわけじゃないよ。小説家はみんな読書家かもしれないけど。でもそうじゃない小説家だっていると思うけどな俺は。それにあれ、サークルのメンバーが次々死ぬだろ? 俺は死にたくないからな」
「唐突なネタバレやめてくださいよ」
「あの小説のネタはそこじゃねえよ」
 そうやっていつも推理小説ばかり読んでいる部員が部室にはいつも5、6人いるが、全部で何人いるのかはわからないが、新入部員は私一人みたいだった。一人だけの新入部員。変わり者っぽくて実にいい。私はミステリサークルが気に入って頻繁に顔を出し、あれからミステリをよく読んでいる。

 毎日そうしているように、小説を読みながら商店街のアーケードの下を歩いていた。商店街は営業している店も少なく、夕方の買い物時でも歩いている人はまばらだ。100円ショップと小さな書店と古臭いゲームセンターがある以外は、キャバクラとスナックばかりが並んでいて、アーケードの屋根は数年前の大雪の日に降り積もった雪の重みに耐えかねて崩落したまま直されることもなく、ぽっかりと空いた大きな穴から初秋の高い空が覗いている。ゲームセンターの前に止められた大量の自転車が道幅を狭くしてとても歩きにくい。ここのゲームセンターの煙草臭い2階には対戦ゲームが置かれていて、1プレイ50円で遊ぶことができる。自転車はそれを目当てにやってきた金の無い中学生達のものだろう。ついこの間まで私もその一人だった。
 アーケードを抜けてしばらく歩き、何軒かの美容院と床屋を通り過ぎると角に〔肉の嶋田屋〕が見えてくる。この精肉屋で60円のコロッケと100円のメンチカツを買うのが最近の日課になっている。駅の近くの商店街にある精肉屋でも揚げたてメンチを売っていて、あそこは雑誌やテレビによく取り上げられるからいつも行列ができているけれど、正直言って並んでまで食べるほどのものだとは思わない。本当に美味しいメンチカツはこの〔肉の嶋田屋〕なのだ。必ず口の中を火傷する熱々カリカリの衣に、牛肉の風味が口の中いっぱいに広がる肉汁たっぷりのジューシーなメンチ。コロッケは私好みのジャガイモの割合が多いタイプだ。他所とは揚げてる油が違うのよ。とおばちゃんは言っていた。
「メンチとコロッケください! 揚げたてで!」
 はい、いつものねとおばちゃんは快く応えてくれて、奥の厨房に向かってコロッケメンチひとつずつね! と注文を伝える。ショーケースには揚げてあるカツも売っているけど、お願いするとその場で揚げてくれる。そういうところが好きだ。揚がるのを待っているこの時間が堪らない。高温に煮えたぎった油の中でパチパチと衣が弾ける音が聞こえてきて、道路まで香ばしい香りが漂ってくる。さっきまで息を潜めていた食欲がどんどんとその勢力を拡大し、いまや頭の中はメンチカツのことで一杯になり、肉と油と衣の塊の受け入れに備えて胃袋が活動を始める。早く食べたい。揚げたてなんか頼まなければよかった。もうケースに並んでいるカツでもいい。早く揚げて!
「あれっ、A子?」
 そのとき背後から誰かの声がした。
「えっ?」
 この大事なときに誰だ、私の名前を呼ぶのは。急に名前を呼ばれた戸惑いと、半ば苛立ちを抱えたままゆっくりと振り返った。いまはそれどころじゃないのに。
「A子? やっぱりA子だ。やあ、久しぶりだなあ……元気か? でかくなったな!」
 その声を発した人物の顔をじっと見ていた。なんとなく見覚えのあるこの初老の男性は、小学校6年のときの担任の林先生だった。
「林先生……ですか? お久しぶりです」
「どうだA子学校のほうは。今年から高校だよな? A子のことだから『変わり者になりたい』とか言って、また変なことでもやってるんだろう」
「やってませんよ。部活はミステリーサークルですけど。あとA子A子ってやめてくださいよ。知らない人が見たら援助交際ですよ」
「おお、すまんすまん。しかしミステリーサークル? よくわからんが飯野はそういうところ、本当に変わってないなあ。あっ、変わってないというのは以前と変わってないってことで、人として変わってないということじゃなくて、人としては変わってるぞ。うん、飯野。お前は」
「いや別にいいですよ気を遣わなくても」
 そういいながらも内心は嬉しい。
 変わらないと林先生は言うが私は随分と身長も伸びたし外見も変わったと思う。そのせいもあるのか林先生は以前よりずっと歳を取ったように見えた。
「卒業文集に書いてたよな、変わった人になりたいだっけ? あんなこと書いたやつは飯野だけだって、職員室で話題になってたんだよしばらく」
「あの話はもういいですって」
 さっきは歳を取ったと思った林先生は、穏やかに笑っているときの表情はやっぱりあの時の林先生のままで、そこだけ時間の流れが止まっているような気がした。

「A子は普通! A子は普通!」
 教室に男子達の騒がしい声が響く。いまから4年前、小学校6年の頃、休み時間になるたびにそうやってからかわれた。
「やめなよ大輔!」
 クラス委員の香織の声がする。彼女は勉強はできないけれど正義感の強い子だ。大輔というのはクラスの男子のリーダー的存在で、ルックスもよくスポーツ万能、クラブチームのユースに入っていてサッカーの才能があった。けれど大輔も勉強ができなかったのと、空気を読まない発言をするので女子からの人気は低かった。
 クラスの仲は悪かった。けれど5年生のときに赴任してきた帰国子女の校長先生が決めたルールで、男女も学年も関係なくファーストネームで呼び合いましょうということになったので、下の名前で呼び合っていた。先生が子供達を呼ぶ時も下の名前で呼んでいた。
「A子は普通! A子は普通!」
 圧倒的なサッカーの才能で変わり者の地位を獲得した本物なんだから、私みたいな偽物のことは放っておいてほしかった。
「やめなって! A子は普通じゃないよ!」
 そんな庇いかたがあるか。教室の隅でクスクスと笑い声がした。自分で言い出したことだけど、人から言われると腹が立った。なにか反論しなければと思った。大輔に普通だと言われたこともそうだけど、勉強のできない香織に同情されることに無性に腹が立った。
「はぁ? 大輔なんかバカじゃん。テストだっていつも60点とかじゃん。うちの親が言ってたけど小学校のテストは100点取るのが当たり前なんだって。私が普通なら大輔は普通以下だね」
「は?いまそれ関係ないじゃん」
「関係あるよ。いいなあ大輔は。たま〜に100点取ったらお小遣い貰えるんでしょ? 私なんかいっつも100点だもん。だからテストでお小遣い貰ったことなんか一度もないよ。いいなあ大輔」
「うっせーよバーカ! 勉強なんかどうでもいいんだよ。俺はサッカーでプロになるんだから。お前なんか勉強できるだけのただの普通の大人になるんだよ!」
 返す言葉が無かった。悔しかった。勉強なんかどうでもいいなんていま考えればいかにも馬鹿の言いそうな台詞なのに、何も言えなかった。勉強ができるだけの普通の大人という言葉のショックが大きかった。涙を流さないように必死に堪えていた。横目で香織を見ると彼女は俯いていた。
「はいはい! そこまでそこまで! 授業始めるぞ」
 手を叩きながら間に入ってきたのは林先生だった。言い返せない自分を惨めに感じながら林先生を見ていた。
「先生ー! またA子が『私は変わってる』とか言うんですよ。A子は普通ですよね」
 大輔はなおも続けるが、林先生は私の視線を感じ取ったのか身体をこちらに向き直して、
「A子は変わってる。自信を持て。なにしろ名前がA子だからな」
 と私にだけ聞こえるように小声で言った。林先生の優しい笑顔が私の瞳の中で歪んだ。

「はい、ちょうど160円。またよろしくね」
 待ちに待った揚げたてのメンチカツとコロッケを右手と左手にそれぞれ受け取りながら、
「私ミステリーサークルのたった一人の新人なんですよ!」
 と話を振ってみたが相変わらずおばちゃんは無反応だった。このやりとりももう10回目だ。そろそろ何か言ってくれてもいいのにな。
「あの時のこと覚えてますか先生?」
 と後ろを振り返るとそこにはもう林先生の姿はなかった。先生の穏やかで優しい微笑だけが空中に漂うようにして残っている、そんな気がした。



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