牡蠣が食えたら

#牡蠣食えば のサブブログにしました。

他人の結婚披露宴が死ぬほど嫌いだが先日友人の披露宴に出席したらテンプレな披露宴にも関わらずとても良かったので披露宴そのものよりも誰の披露宴か、新郎新婦と自分との関係性によって良し悪しが分かれることを改めて認識するとともに、出席したいと思える独身友人がいなくなった現状、今後20年間はおそらく披露宴に出席することは無いだろうという話

 子供の頃結婚式と披露宴に対して持っていたイメージは最低で、あんな辱めを進んで受けるマゾカップルの気持ちが全く理解できなかったし、あんなことをするくらいなら結婚などしないほうがマシだと考えていた。とはいえそれはテレビや雑誌などから得る情報によって形成されたイメージであったから、実際の結婚式がどうだったのかは知らないし、出席したこともなかった。TVを見て結婚式に憧れを抱く女がいるらしいが、私と同じものを見てその感想を持ったのなら頭の中が白無垢すぎてそんな女とまともな結婚生活を送れる気がしない。

 幸いにして私は常日頃から「結婚式が嫌いだ」「披露宴が嫌いだ」「披露宴をしたがるような女とは結婚できない」と言い続けたことが奏功し、披露宴願望のない一般女性と無事に結婚することができた。美しい花嫁姿を全国ネットで独占生中継される憂き目にも遭わずに済んだ。私の結婚の話はどうでもいいのだが、周囲へのアピールを怠らないと、こいつを結婚式に招待するのはやめようと勝手に思ってくれるのか、唐突に招待状を突きつけられることも少なくなり私のように友人の数は少なければ少ないほどいいと思う人間にとっては大変にありがたい。たまに人の日々の努力と明示の意志を無視して結婚式に招待しようとする不遜な者もいて、そういう輩は招待状送付前の打診の段階でさえ衆人環視の下で行う。共通の知人数人達、この中に私も含まれていたわけだが、にまとめて打診を行う人の良さにつけ込んだ断りにくいやり方に腹が立ったので「二次会だけなら行くかも知れない」と曖昧な返答をした。もちろん二次会に行くつもりも毛頭ない。そうしたら後日結婚式及び披露宴の招待状を持って寄越したので、その厚顔無恥さ足るや逆に感心してしまった。もう二度とヴェールを上げないで欲しい。

 友人の話である。結婚披露宴に出席したいと心から思える友人は3人いて、そのうち1人はもう5年ほど前に式を挙げてその時は私も出席した。もう1人は披露宴を開かなかった。残る1人がこの度結婚し披露宴を開くというのでお招きにあずかり、この特にすることもない3連休の1日を利用して片道2時間の道のりを行き美味しい食事に高いワインを飲みながら楽しい会話に花を咲かせたりなどしつつ二人の門出を祝ってきたがこれが大変に素晴らしい結婚披露宴で、掲題の通りとなったわけである。ついでに受付業務も頼まれて、そもそも人の結婚式なんて親族として参列したのを除けば片手で数えて指が3本余るほどしか出席したことが無いので何をすればいいかわからなかったが、新郎に「指定された場所でお金の入った封筒を受け取るだけの仕事だ」と言われたので非行に走る高校生の気持ちがわかった。

 偉いおじさんのスピーチ、なかなか発声しない乾杯、新婦の大学時代の友人の嗚咽交じりのスピーチ、二人の生い立ちを紹介するスライドショー、新婦から両親への手紙、新郎から新婦への予定調和的なサプライズの手紙、素人による生歌、司会者が新郎新婦のプロフィールを紹介するときの「〜と聞いております」、生まれた時の体重と同じ重さのクマのぬいぐるみ。どれも2chのスレなんかで定番の演出として槍玉に挙げられるが、問題は演出がどうこうではなく心から2人を祝福できるかどうかであった。逆に言えば結婚式を控えた新郎新婦は参加者に楽しんでもらおうと演出にあれやこれやと思い悩んで工夫を凝らせるが、出席者にしてみれば2人がニコニコ幸せそうな笑顔で並んで座っていてくれればもうそれで十分であって凝った演出などいらない。そう思える出席者だけに囲まれた披露宴でなければ価値がない。退屈しのぎに演出の巧拙ばかりが気になってしまう披露宴にノコノコ出掛けてせっかくの祝福ムードに水を差し披露宴をむざむざ無価値なものにしてしまう野暮な出席者になることは避けたいとオードブルのフォアグラに命じた。その点において私が心からおめでとうと思える友人は彼を最後にみな結婚したので、当分は結婚式や披露宴に出席することはないだろう。職場関係の知人の式に出席するつもりはないし、これからそのような友人ができるとも思えないので、自分の子供が結婚するまでとすれば20数年はないこととなる。もしかすると生きている間に最後に出席した結婚式になるかもしれぬ先日の披露宴を素晴らしいものにしてくれた新郎と新婦におめでとうの言葉とともに感謝の意を表したい。おめでとう。