牡蠣が食えたら

#牡蠣食えば のサブブログにしました。

雪、カラーボール

 明日はまた雪が降るらしい。それがどうも明日の夜から翌朝にかけて降るという。明後日は休みだから、朝積もっていれば雪合戦でもしたいという話になった。するといまの学校(小学校か中学校かは知らない)では雪合戦が禁止されているらしい。怪我をするからだと。
「そんな馬鹿な」
 と思った。そんなに危ないものなのか、許可はされなくとも禁止されるほどのものなのか。
「雪玉の中に石を入れて投げる奴がいるから危険だ」
 と先輩が言った。足首にまだその時の怪我が残っているという。
「どうせ入れるならコンビニのカラーボールでも入れればいいのに。そしたらスプラトゥーンみたいで楽しそう」
 実際にやる子供達がいるかもしれない。

 コンビニのカラーボールに入っている塗料が非常に強力な塗料で、一生落とすことができなかったら、犯人はその後の人生で人に会う度に(あっ、この人はコンビニ強盗したんだな)と思われてしまう。銭湯では「カラーボールの塗料が付いた方の入浴をお断りします」という注意書きが貼られているかもしれない。もしその時の店員が野球部のエースで犯人の顔めがけて剛速球のカラーボールをぶつけたとする。犯人は一生赤い、もしくは青い顔で生きていかなければならない。たった一度の過ちで。

 店内放送は呼びかける。
「当店は防犯上の理由から、フルフェイスヘルメットを被ったままの入店をお断りしております」
 顔が狙われている。

 大学入学直前の3月から4年の3月までの4年間、中央線の高円寺に住んでいた。卒業を控えた3月のある日、引越しの荷造りもあらかた片付いて、近所のセブンイレブンで買い物をしようとレジの行列に並ぶと、前に立った男が急に振り返った。男は身長185cm程で、白いスウェットのようなラフな服装だったが頭にはヘルメットを被っていた。ヘルメットはフルフェイスではない。男はこちらを向いたまま眼球を全く動かさずに見下ろしている。私は思わず目を背ける。しかしどうやらまだ見ているようだ。この男に見覚えはない。知らない人に絡まれるようなこともしていないはずだ。
 やがて男は満足したのかレジに向かって振り返り、会計を済ませ店をでた。

 いまのは何だったんだ……と思いながら自分の番が来たので会計をしてもらい、コンビニを出ると、店の前に小さいスクーターが停められていて、その横に先程のヘルメットの男が蹲っていた。
 私は気づかない振りをして、道の反対側まで道路を横断しようと歩き始め、男の横を通りかかった時に横目で一瞬男の方向を確認すると男はなにやらブツブツ小声で呟きながらこちらを見ている。ヤバい。これは絡まれる。一瞬のうちに緊張感が走る。心の準備をしながらしかし悟られないように、何事もないかのように横を通り抜けようとする。腋に嫌な汗が流れる。そのまま道路を横断し反対側に着き、左手に数歩歩いて十字路に辿り着いて左折をして男の視界から逃れる。

 結局絡まれることはなかった。運が良かったのか、考えすぎだったのか、どちらにしても嫌な予感は当たらなかったのだから良かったこととしよう。こんな家まで2、3分のしかも駅まで向かう道の途中のよく行くコンビニで絡まれたらたまらない。二度とそのコンビニに行けなくなるではないか。勘弁してくれ。

 などと考えながら早足気味で歩いていると、後ろから乾いたエンジン音が近づいてくる。振り返らずにその場をやり過ごそうと気にせず同じペースで歩く。私の横を1台のスクーターがすり抜ける。スクーターにはさっきのヘルメットの男が乗っている。あっ、ヤバい。と思っているとスクーターは私の10メートル程先に停止した。男がゆっくりとスクーターから降りる。こちらに振り返る。こういうときは絶対に目を合わせてはいけないと、必死で無関係を装い歩き続ける。
 やがて男との距離が2メートルになったとき男がこちらに向かって言った。
「おいお前、見ねえ顔だな。この辺のもんか?」
 いや4年住んでるんだけど。ていうかお前の方が見ない顔だよ。誰だお前。人に絡むときに見ねえ顔だななんて実際にいう人を初めて見たよ。
「いや、すいません」
 歩くのをやめずに答えた。男は人差し指を立てて自分の顔の前に持っていき、手の甲をこちに向けて立てた指をクイックイッと動かしながら、
「おい、お前ちょっとツラ貸せ」
 などと挑発し、執拗にこちらを覗き込んでくる。それでも歩くのをやめず、
「いやほんと、すいません」
 と言いながらその場を立ち去ろうとする。既に男の立っている位置を過ぎ、背後に気配を感じながら、しかし何事も起こっていないかのように自然に歩く。決して振り返らない。
 15メートル程歩いたところで道は丁字路に突き当たり、後ろを見ないように注意しながら角を右に曲がった。スクーターのエンジン音も、男が歩いてくるような気配もしない。どうやら追いかけてまでは来ないらしい。

 角を曲がって自分の体が完全に塀の後ろに隠れ、男の視界から消えたであろう場所まで歩いたところで、もう一度丁字路の方をちらりと見る。男がいないことを確認して、そしてダッシュして逃げた。借りていたマンションのエントランスの前でもう一度あたりを見回し誰もいないことを確認して部屋に入った。

 それから数日して私は別の街に引越してしまったので、そのコンビニにはあれから一度も行っていない。

「カラーボール入りの雪合戦は全然やりたくない」
 と同僚が言った。