読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ふくらんでいる

 番頭はこう言ったのだった。
「上高田というと線路の北ですか? ええ、住所です。あのあたりも随分と変わったでしょうね。はい、ああ私も、といってももう50年も前ですが、あそこの学校にいってたんですよ。ええ。もう学校は無くなりましたけど。南側ですか。住所でいうと。じゃあ線路からは大分離れますか。そうでもないですか。はい、中野の方まではいかないですね。北側は? 北側も上高田だったですね。まあ随分前のことですけどね。あちらは寒いですか」
 上高田というのは私のアパートの住所である。私は夕飯を食べ終わって何か酒のツマミとアイスでも買おうかと帳場の脇にあった売店に来て、辛口という柿の種と、アイスが挟まった最中を買おうとしていた。フロントと言えばいいのをわざわざ帳場と言うのは別に私は古い言葉を使いたいというのではなくて、玄関の靴を脱いで上がったところへ大きな字で「帳場」と書いてあったので帳場と言っているだけだ。

 私は『ふくらんでいる』というブログにもたまに文章を書いているが、先に書いたことはそこに書いたことのつづきである。『ふくらんでいる』にはたしか温泉旅館に行って、そこの温泉の温度がぬるかった、というところまで書いた。男湯の露天風呂は二つあって、ひとつはぬるく、もうひとつは熱かったが、内風呂から熱い露天風呂までは陸続きになっておらず、ぬるい風呂の湯の中をあるいて行かなければ往復できないから、行きは暖まる一方だからいいとしても、帰りは辛かった、ということも書いただろう。女風呂は露天風呂がひとつしかなかった。それはぬるかった。夜の7時半になると男女の風呂が入れ替わった。だから私は女風呂に入ってぬるさを確かめたわけではない。
 それから湯治についても、ゆっくり風呂に浸かって、部屋で寝て、また風呂に浸かって、あとは何もしない生活をしていたら、そりゃあ良くなるもんじゃないかと、そんな環境に自分の身を置くことができる時点で湯治はもはや半分完了しているようなものである。などと知ったような口を聞いた。この旅館はかつて湯治場で、温泉は目にいいとされているようである。宿に到着すると、まず始めに笹団子と、沸かした温泉の湯で淹れた茶をサーヴィスされた。目にいいから飲めと言う。目にいいと言われるとなんでもブルーベリーの味がしてしまう。たぶんメグスリノキでも入っていたのだろう。
 上野から新幹線に乗って、駅に着いたときにはパラパラと風花というのか、細かい雪が浮かぶように降っていた。駅前のバス停からバスに乗り、30分ほど山道を走ったところの停留所で降りると雪は強くなっていた。停留所の側には1台の小さなワゴン車が止められていた。ワゴン車に乗ってさらに山道を今度は沢に向かって急な坂を下る、下り坂では路肩の融雪パイプから常に水が吹き出している、水からは湯気が立っているからお湯かもしれない、下ると大きな石がゴロゴロ転がった河原に出る、川に掛かっている車1台分がようやく通れる幅の橋を渡りきったところに旅館がある、そのワゴン車を番頭が運転していた。番頭とはそれまで一度も話などしたことなく、もちろん住所なども言っていなかった。おおかた私の妻がチェックインのときに櫻井昌平という名前の隣に書いた住所でも目にしたのだろう。
 そのことはどうだっていい。番頭をやっていれば宿泊客の住所を目にすることもあるだろう。目にするどころか読みさえするだろう。顧客台帳に書き写したかもしれない。東京都中野区上高田か、上高田っていうと中央線の中野から少し北に行ったところだ。西武新宿線なら新井薬師前か、中井か、中井のあたりは新宿区だから沼袋かもしれない。とにかくそんなところだ。確か線路の北には哲学堂があった。駅前の踏切の道は中野通りで、まっすぐ南に行くと中野駅に着く、それよりも手前の早稲田通りと交差するよりも手前にある階段を昇ると新井薬師の裏の公園に出る。春になると公園と通り沿いの桜が満開になって綺麗だろう。そういえば新井薬師は目の病気にご利益があると言われているんだった。そう考えるといまの仕事とも関係があるのかもしれない。久しぶりに行ってみようか。などと考えていたっておかしくはない。

「もともと妻の実家が近くだったんですよ。だから私はあまり知らないんです。何しろ私は東京の生まれじゃないですから。私は東京というよりむしろこっちに近いくらいですよ。実家は群馬ですから。あそこのスキー場なんか子供のときよく連れてってもらいましたよ。今日も駅前のスキー場に行ってみたんですけど、客は少なくて、平らだから、僕なんかスキーやるから物足りないなあって思っちゃいますけど、というかもっといいスキー場はいっぱいありますよね、でも子供連れにはいいですね。レンタルの家の人も親切だったし。結構家族連れがいましたね、平日なのに」
 そんなことはいいからさっさと会計してくれ、と本当は言いたかったが言わなかった。私は寛容だからである。宿帳に書かれた客の住所を番頭が読んで何の問題があるだろう。読まれて困るなら偽名や嘘の住所でも書けばいい。これは旅館業法に違反する、別件逮捕の口実によく使われると刑事ドラマで見たことがある。そうではない、住所を見たっていいがそれを客に話すことが問題だろう。少なくとも私はいい気分はしなかった。いい気分がしなかったからといって何だというのだ。
 柿の種と妻のために買ったアイス最中の入った袋を提げて、部屋に戻ると妻は横になっていた。先ほどの話を妻にしようかと一瞬考えたがすぐにやめた。せっかく旅行に来ているのに気分の悪くなる話をわざわざして、二人して不機嫌になることなど無い。不機嫌になった体験を人に話して笑い話に昇華できるだけの余裕は、まだなかった。だからといって妻に言えなかったからこうやって書いているわけではない。だいたいこの話だって本当にあったことなのかもよくわからない。ワゴンを運転する番頭なんていなかったし、私は櫻井昌平などという名前ではない。