牡蠣が食えたら

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『ロクス・ソルス』を読み始めた

 昨日からレーモンルーセルの『ロクス・ソルス』を読んでいる。以前途中まで読んで飽きてやめてしまったこの小説を最後まで読み通したいとずっと心残りでいたので、今年は読もうと思っていたのだけれど、なかなか手をつけられずにいたが昨日ふと思い立ってページをめくってみたらこれが結構面白くてすんなり入っていくことができた。

 といってもすんなり読めたのは始めだけで、第三章の呼吸できる水が貯められた水槽の中で浮かんだり沈んだりを繰り返す7種類の機械人形の説明が長くて長くて退屈になってしまった。この小説はそこに至るまでもとにかく長い。わざと難解ないままで誰も目にしたことのない機械装置や芸術品やその他の珍品を創造したのちそれについて細かい細かい説明を繰り返し繰り返し記述している。一見無駄に見えることまで全て説明し尽くそうと、というより作者が飽きるまで説明しようとする文章が続いていてすぐに退屈になる。退屈になっても構わない、読者が退屈になろうが関係ない、作者が飽きたところがこの小説の終わりだ、とルーセルが言ったのかはわからないが、そんなようなものを感じる。

 退屈で退屈で仕方ない小説にも関わらず平凡社ライブラリー版はしかし上手くできているなと思ったのは、序章に登場する石龕に安置された同盟者の像とその石龕の彫刻についての説明、由来の記述はあとに登場する品々の説明よりも簡潔で面白く、といっても退屈なぶぶんもあるのだけれどその説明を読むことが後の長々とした文章を読む訓練、チュートリアルになっているのに続き、第二章では色とりどりの抜いた人間の歯を使って飛翔しながらモザイク画を描く機械の解説が始まり、これがまたかなり退屈なのだが、表紙を見るとその機械のイラストとモザイク画とその由来のイラストが描かれているため、文章と交互に比べながら読み進めることができる。これがチュートリアルその2となる。正直序章までなら想像力を働かせながら楽しく愉快に読むことができたけれど、第二章は表紙なしに読むのは辛かった。貧弱な想像力を呪いたい。撞槌ってなんだよ。

 ここまでで頭を少しずつロクス・ソルスモードに馴らしていって漸く第三章に挑めるのだが、第三章も途中でタツノオトシゴが競馬をするシーンなどは退屈で仕方ない。そこで大方読み飛ばしてしまい、いまは第四章のガラスの檻の中で演じられる芝居のようなシーンを読んでいる。そして第四章がとてつもなく長い! 第三章を苦労して読めたとして第四章を読み通すのは相当困難ではないだろうか。

 ロクス・ソルスが退屈で読みにくいのは一つは翻訳小説であることと、もう一つは話の中に出てくる装置のタネが、現代の科学技術では考えられない内容であり、例えば水の中で呼吸ができるとか、正確な時刻で風向きを予測できる気象学など、常識で考えるとあり得ないことしかないので、つい常識や先入観を持って読んでしまう私はすんなり受け入れにくい。たぶんこの小説を読むコツは常識や知識を投げ打って、意識の表層を一枚二枚と剥がしていき、もっとより原始的なところで、頭の中を無にしてありのままを受け入れていくことだ。頭を空にしたい。だからロクス・ソルスを読む。


ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)

ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)