牡蠣が食えたら

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感想:『夫のちんぽが入らない』/『数学小説 確固たる曖昧さ』

最近読んだ本


夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

『夫のちんぽが入らない』
 なぜか夫とだけセックスができない(=挿入できない)著者が、大学に入学するために田舎を出てから夫と出会い、就職して結婚し現在に至るまでの20年間を描いたエッセイ?ノンフィクション小説?である。
 世の中にはパートナー以外の異性とのセックスは問題なくできるのに、パートナー同士ではセックスができない(挿入ができない)カップルというのがあるらしい。なぜ夫のちんぽが入らないのか、原因は結局わからない、この本はなぜ入らないのかということを書いているのではない、ただ入らないのだ。
 著者のこだまさんを私はtwitterで知った。精神科に通院する夫の面白エピソードをツィートする人、という認識だった。本書の元になった同人誌の存在は知らなかったし、もちろん中に書かれているエピソードについても知らなかった。ただTwitterで本が出ることを知り、知ったので買った。

 タイトルこそ変わっているけれど、書かれていることはごく当たり前のことであり、また当たり前であってほしい。これまで数多くの人が悪意なくぶつけられてきた(そしてこれからも数多くの人がぶつけられるであろう)「子供はまだか?」「子供はつくらないの?」「絶対子供は作った方がいいよ」などの質問が、無意識に他人を傷付けているという事実。人には人の事情があり、言わないからといって無いことにはならない、黙っているからといって受け入れているわけではない、という当たり前のこと。その当たり前のことをみんな当たり前としてやっていきましょうよ。そんな風にこの本を読んだ。惜しむらくはそれを当たり前と思わない人はこの本に手を伸ばさないのではないかということだ。

 この本に書かれているエピソードは、それが事実であればかなり辛いものばかりである。けれども私はこの本を「辛かった」ではなく「面白かった、笑わせてもらった」という感想にしたいし、著者には「辛かったね」ではなくこれからも笑わせるものを書いていってくださいと言いたい。



数学小説 確固たる曖昧さ

数学小説 確固たる曖昧さ

『数学小説 確固たる曖昧さ』
 しばらく前に妻が買ってきて、読みかけのまま本棚にしまってあったのを見つけて読み始めたら案外面白く、数日かけて読み切った。
 数学小説とあるが、数学の知識はなくても問題ない。分からないところは完全に理解せずともだいたいで読み進めればよい。読者の代わりに登場人物たちが理解してくれるので、自分まで理解したような気になる。数式を解かなければ先に進めない、なんてことはもちろんない。
 主人公はインド出身のラーヴィ・サーニという数学者で、主人公が本格的に数学を始めた学生時代の回想がメインストーリーとなっている。ラーヴィの祖父ヴィジェイ・サーニもまた数学者であり、祖父の遺産でアメリカの大学に進学したラーヴィは大学で数学を教えるニコに出会う。ニコの研究室で祖父の書いた論文を見つけたラーヴィ、しかし論文の注釈には祖父がかつてアメリカのとある街で警察に勾留されていた事実が示されていた。
 ヴィジェイ・サーニ事件の舞台は20世紀初頭のアメリカ、ニュージャージーの架空都市モリセット。アインシュタイン一般相対性理論を発表したのが1916年、ケンブリッジ天文台で光が重力により曲がることを観測したのが1919年。このような時代の転換点を背景に、ヴィジェイ・サーニはなぜ逮捕されたのか、そしてその後どんな人生を送ったのか、過去の新聞記事や担当判事との面談記録からヴィジェイ・サーニの事件の謎を解くパートがメインストーリーに並行して進んでいく。
 またこれら2つのパートに挟まるように、数学史における偉人たち、ピタゴラスカントールガウス、リーマンなどの手記や手紙を作者が創作したものが挿入される。小説内に登場する数学の理論や証明が発見された時の状況を再現するように書かれた架空の手記が、数学史の理解を助ける。

 数学史に詳しい人には物足りないだろうが、前知識のない人、特に文系出身者などには充分楽しめる内容の、数学版歴史小説である。