牡蠣が食えたら

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男の作法 / 池波正太郎

池波正太郎の「男の作法」という本がおもしろい。本を買ったのは東京に出てきて一人暮らしを始めた頃でいまから10年くらい前になるのかな。だから最近買った本ではないんだけど、なにかにつけて本棚からひっぱりだしては読んでいて、ここ5年くらいは最近おもしろかった本ベスト8に入っている。

「男の作法」というけれど、作法というほどの厳格なものではなくて、どちらかといえば心得とか心構えといったようなものの方が近い。

文章はインタビュー形式をとっていて、湯布院の旅館で池波正太郎が編集者に語った内容を原稿にし、それに手を加えて本にしている。本人はこれを書き下ろしならぬ語りおろしと言っている。
基本的に語り口調でライトな文体なので非常に読みやすい。また語りおろしなので初めから終わりまで一連の流れではあるんだけど、ひとつひとつのトピックについては数ページで語られているので、どこから読んでもいいしどこでやめてもいい。ちょっとした隙間時間に読むのにちょうどいい本だ。


よく出てくるのが食べ物の話で、簡単に紹介したい。例えば冒頭、この本は鮨屋の話から始まる。
その中の一節。

鮨屋に行っていやな顔をされるというのは、握った鮨を前に置いたまま長々とビールかなんかを飲みながらしゃべって、まあ、重役の悪口や言ったりなんかしているやつね。

どこの鮨が旨いとか、どういった部位を食えとかそういうグルメ雑誌みたいなことじゃなくて、こういうお店での振る舞い方について書かれていることが多い。
似たような話でてんぷら屋についても書いていて、

よく、てんぷらの揚がっているのを前に置いて、しゃべってるのがいるじゃないの。そういうのはもう、一所懸命、自分が揚げているのに何だというので、がっかりするんですよ。

と、もうとにかく出されたらすぐ食えと。鮨屋やてんぷら屋ではそうするもんだと。
確かに鮨にしてもてんぷらにしてもわざわざその専門の店に食べに行ってるわけだから、しかも目の前に作ってくれた人がいるわけだから、目の前の料理に集中しろというのはよくわかる。旨いまずい以前の問題だろう。

けどこういう話が本になって売ってるっていうのはやっぱりそうじゃない人たちがいるっていうことで、実際鮨屋に行っても鮨を前にしてずっとしゃべってる人はいる。煙草を吸う人とか。
あとは熱心に写真を撮る人とかね。職人だって写真撮らないでくださいとは言わないだろうけど、いまはなんでもシェアされる時代だから、嫌な顔はしないだろうけどあまりいい気はしないんじゃないかな。
雰囲気で1枚2枚撮るんならわからなくもないけど、握ったものを端から全部撮る人とか、ああいうのはどうなんだろう。


こういう簡単なことなんだけど蔑ろにされてることって結構あって、自分もついやってしまいがちなんだけど、たまにこの本のページを開くことで気を引き締めている。
この本には「そういうときはこうするのがスマートなんだよ」っていうことが書かれている。決して押し付けがましくなく。
ときどき読んで、暮らしの軌道修正をする。そんな使い方をしている。


まあなかには「それはどうなの?」っていうのが無くはないけど、この本が書かれたのは昭和56年頃なのである程度は仕方ないし、この本が発売された時点で既に

しかし、それは所詮、私の時代の常識であり、現代の男たちには恐らく実行不可能でありましょう。時代と社会がそれほど変わってしまっているということです。

と、池波正太郎も書いているので、まあそこはそういうもんだと思って読むんだけれど、しかし多くは現代にも通用する共通の真理が書かれていると思う。真理というより「基本的な考え方」と言った方がいいかもしれない。通ぶらないとか気取らないとか、他国の食べ物の悪口を言わないとか。そういう普遍的なことが書いてある。

だから男の作法というけれど、女性が読んでも面白いと思います。



男の作法 (新潮文庫)

男の作法 (新潮文庫)