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池袋乗用車5人死傷事故の被害者報道に意味はあるのか

16日夜、池袋で乗用車が歩道に乗り上げ次々と人をはね、5人の死傷者を出すという事件(事故)が起きた。詳しい原因はまだあきらかになっていないが、飲酒運転や薬物濫用によるものではないらしい。今日は各テレビ局でこのニュースが繰り返し放送されていた。

mainichi.jp

各社の報道の中に、ひとつ気になることがあった。

被害者関係者へのインタビューは必要か

とあるニュース番組を観ているとこの事件のニュースが始まり、やがて一つのインタビューが流れた。インタビューを受けているのは被害にあった女性の同僚を名乗る人物。また別のニュース番組を観ていると、今度は被害者の親戚という女性がインタビューに答えていた。
このインタビューには違和感を覚える。
果たして今回の事件(事故)を報道する上で、被害者側の関係者にインタビューをすることは意味や意義があるのか。

事件の解明?

まず第一に今回の事件は自動車事故であって、加害者と被害者に直接的な関係はない。言葉を選ばずに言えば、被害者は不運にも事故に巻き込まれてしまった犠牲者で、被害者に落ち度はない。
なぜこのような事件が起きてしまったのか、という事件の解明をする上で被害者側を取材して得られるものはおそらく何もない。

加害者については、その経歴や当日の行動などを調べることで事件の背景を探ることはできるかもしれない。あるいは加害者と被害者がお互い顔見知りであったり、殺人事件であったりする場合には、被害者側を取材する理由はあるのかもしれない。ただしこの場合でも被害者側遺族の感情という別の問題は残るし、そもそも事件を解明するのはメディアがやるべきことかという問題もある。
ともかく今回の事件では、被害者を"深掘り"したところで事件の解明にはつながらないだろう。もっと言うと関係者へのインタビューは事件に関係がない。

ワイドショー化するニュース番組

ではなぜインタビューを放送するのか。ひとつ考えられるのは、被害者の人物像を明らかにすることで視聴者の感情移入を促し、事件の悲惨さをより強く印象づけるという狙いではないか。
2013年に起きたアルジェリアの人質事件で犠牲になった、日揮の社員の氏名をいち早く公開した報道ステーションは、その番組内で古舘伊知郎に、「無念を晴らすには、数だけでは不十分であえて実名を公表させていただくことにしました」と語らせた。事件の規模や話題性は違ったとしても、手法は同じだ。

しかしそれはもはや報道ではなくワイドショーのやることで、下世話だ。ニュースバラエティなら許されるかもしれないが、報道番組のすることではない。

もうひとつ考えられるとすれば、放送時間の尺を埋めるため、という制作上の都合だろう。コンテンツを充実させるためには遺族感情を無視してもいいのだろうか。それはテレビ局側の自己満足に過ぎないのではないか。

事件に直接関係のないインタビュー映像を流す"ニュース番組"は不可解な光景だった。

無くならない取材問題

被害者遺族・関係者への取材問題は、神戸の連続児童殺傷事件で話題になり、その後大きな事件がある度に取り沙汰されてきたが、一向に無くなる様子はない。
私が観たテレビ番組が、なぜ被害者側関係者のインタビューを放送したのか。その意図はわからないが、被害者をそっとしておいてあげて欲しいと思うのはきっと私だけではないはずだ。



メディアスクラム―集団的過熱取材と報道の自由

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