牡蠣が食えたら

#牡蠣食えば のサブブログにしました。

猫探し/ハロウィン

「黒白猫を探しています」という貼り紙が電信柱や家の塀など近所の至るところに貼られていて、もう二週間くらいになるのかな? A4のコピー用紙に綺麗に切り抜かれた猫の写真が印刷されて飼主の連絡先が書いてあり、雨に濡れないようにビニール袋でカバーをかけられている。それがここのところしばらく貼られていたのだが、どうやら見つかったらしい。貼り紙の上から「見つかりました。ありがとうございます。飼主」と別の紙が貼ってあった。大変喜ばしいことである。喜ばしいと安易に言ってしまったがもちろん飼主である人間にとって喜ばしいことで猫にとってはもしかしたら家出をしたかったのかもしれないし猫の気持ちはわからない。とはいえ家猫が野良になっても長くは生きられないだろう。しかし長生きすることが猫にとっての幸せだろうか。家の中で長生きするのと、短くても外で生きるのとどちらが猫にとって幸せかについて考えなければならない。それは答えの出ない問いなので、各自考えてください。

 猫家出事件は無事解決したのでこれは書いてもいいだろうと指をフリックしているのであって、もし見つかったという続報がなければ書かないでおこうとしていたことは断っておきたい。そうそう何時も馬鹿馬鹿しいことを考えているわけではない。私が気になっていたのは、猫探しの貼り紙の一番下が短冊のように切り込みを入れられてそのひとつひとつに飼主の名前と電話番号が書いてあり千切って持ち帰れるバンドメンバー募集方式をとっていたことだった。しかも何枚か千切られていた。

 商店街を歩いていたら道の向こうからハロウィンの仮装行列がやってきたが、黒いドレスを着た女の子や着ぐるみを着た子供やディズニープリンセスなどまとまりのない集団で隊列は乱れていて、10月の週末でもなければそれがハロウィンだとはわかるはずもなく、彼らがハロウィンだと名乗ったわけでもない。仮装した子供達は実に楽しそうな顔をするものもいれば嫌々仮装をさせられてるんですよという顔をしたものもおり、菓子が欲しくて参加したのか親の近所付き合いの巻き添えを食ったのかは知らないが賑やかな祭りというより早朝に叩き起こされて集められたラヂオ体操の顔つきの如く緊張感に欠けており、大人達は皆寒そうにしていた。大変の風の強い日だったのでこんな日に仮装は辛いだろう。なにが辛いってあんな恰好をさせられることが私にしてみれば最も辛いことで、仮装行列の中で1人だけ仮装をしないという仮装ですというのが認められるのか聞いてみたいが、気のいい彼らは快く迎え入れてくれるかもしれずそんなことは是非とも避けねばならない。まだ子供なら可愛げがあって菓子の一つも遣りたくなるものの、いい年をした大学生や専門学生が頬に血肉の抉れたフェイスペイントなど施して見ているこちらが痛々しい上にこれ以上なにを悪戯しようというんですか。何時だって仮装などしたいものではないが、ハロウィンと言えば10月31日にやるものと思っていたが商売上の都合もあるのだろうか、全くお構いなしの様相でここひと月程はしばらくハロウィンのお祭り騒ぎを見物することになるとして、楽しいことは大変結構なことでございますがそれにしたってハレとケというものがある。とにかく騒げればいいという昨今のノリには付いていけない。子供が参加したいと言い出したらどうしようか。普段から菓子に不自由しない生活を送らせて、他人の家に無心に行かないようにしよう。