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お土産

 結婚式は京都で行われて、これに託けて前日から家族を連れて乗り込みちょっとした観光をした。かこつけてを託けてと書くのは正直いままで知らなかった。iPhoneの予測変換はなんでも教えてくれる。ただ気に入らないのは「上野」という字を入力したいときに例えば「うえのとうきょうらいん」と入力すると変換候補の一番最初には↑の東京ラインとか上の東京ラインが表示されてスクロールしないと上野が出てこない。そういうところがある。
 有給休暇を取って行ったので念のため職場にお土産を買おうと思った。買っていかないと厄介だからだ。出張した人と休んだ人はお土産を買ってくるという謎のルールがあり、連休明けには机の上に幾つもの菓子が置かれる。私はPCのデスクトップに「なんでもメモ.xlsx」というファイルを作っていて、何月何日に誰からなんというお土産を貰ったか、なんという会社のお菓子か、美味しいか不味いか、といったことを記録している。特に役に立ったことはないが習慣として続けている。この前も鹿児島のお土産をくれた人に「これはエリーゼですね」と言ったら不機嫌そうな顔をされた。私はエリーゼが好きなので心外だ。それで「エリーゼに似てると言ったら不機嫌になった」とメモをした。
 今回お土産を買うのを忘れた。しかし実のところ私はあまり気にしていないので土産を忘れると厄介だとは思っていない。けれど自分でも食べたかったので仕事帰りに東京駅まで行って百貨店の1階で菓子を買ったが、大丸の紙袋に入れてくれたので、
(これでは東京で買ったのがモロバレじゃないか)
と思った。しかし家に帰って袋の中をよく見るとちゃんとその菓子屋の紙袋が入っている。土産は中身よりも紙袋とか、包装紙の方が大事でもっと言えば「買ってきましたよ」という事実さえあればあとはもうどうでもいいから、私みたいに美味いだの不味いだの言う人は少ない。
 何日か前に「お土産は買わないで自分に記念品を買おう」といった内容のブログを読んで、食べ物はなくなってしまうから携帯電話のストラップやキーホルダーを買おうと書いてあった。確かに私も子供の頃は同じ考えをしていて旅行に行く度にキーホルダーとか変なパズルを親にねだっていたが、しかしあるときからどこに行っても同じようなキーホルダーが売っていて、ご当地ハローキティやご当地まりもっこりが出てきたあたりで「これは買う必要ないな」と気づいてから一気に興味がなくなった。尾瀬のご当地ハローキティには水芭蕉キティと花豆キティがあって、花豆キティは花豆という平べったい豆にキティちゃんの顔がついていて、豆からプラプラした4本の手足が生えているカビるんるんみたいな形状をしていた。食べ物のように消えてなくなるものの方が寧ろありがたいし、iPhoneにストラップは付かないからストラップを貰っても嬉しい人は少ない。
 観光地や景色の綺麗な所ではバシャバシャと写真を撮っている人をよく見かけるが、ああいうのを見る度にもったいないなあと思う。人間の眼とカメラのレンズとでは画角が違うし、認識できる色の数も違う。見返すときにはL版だったりスマホの画面と小さいし、なにより現地に自分がいるのとでは周囲の音や風だとかとにかく情報量が違いすぎるので実際の感動は伝わらない。感動というと陳腐だが、綺麗だけど臭いとか、靴の中が濡れて気持ち悪いとか、寒くて早く中に入りたいとかそういうことである。写真はそれらを取り去ってしまいなんの参考にもならないばかりか体験を矮小化してしまう。綺麗な風景写真というのもあるが、あれは事前の綿密な計画と計算に基づいて撮影された一瞬を捕らえたもので、観光している数日のうちに撮れる代物ではない。
 反対に旅行では街中のスナップをよく撮る。それについても書きたいがいまこれは屋外でiPhoneに向かって書いていて手が冷たくなってきたのでやめる。