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モロイを読みながら

文章

 いま、主に通勤途中に、サミュエル・ベケットの「モロイ」という小説を読んでいる。全然読めていない。読み始めたときはまったく頭に入ってこなかった、ただただ文字を読み上げるだけの状態になった、頭が痛くなって混乱してきた、仕方が無いので普段は先には絶対に読むことのない巻末の解説を先に読んだ。私が読んでいるのは1969年に出版された集英社「現代の世界文学シリーズ」の一冊、訳は三輪秀彦、当然新刊は手に入らないので図書館から借りた。Amazonにも中古の出品しかない。神保町の東京堂書店の3階にある外国文学コーナーへも足を運んでみた、ベケットの他の著作や短編集は置いてあったが「モロイ」は古すぎて置いていないのだろう。近くの古本屋に寄る時間はなかった。解説を読んだのは2日目だった。1日目は酒を飲んでいたから小説が頭に入ってこなかったのはそのこともあるのだろう。解説を読んで、また頭から読み始めると恐ろしいほどにするすると読むことができた。最初に感じたあの感覚、何を言っているのか全くわからないあの感覚はなんだったのか。まだ前半の前半しか読んでいないのに既にわからない、最初の方にAとBという2人の男が出てくる、話がどんどん横道に逸れていく、語っている本人すらどちらがAでどちらがBだったか見失う、読者はますますわけがわからなくなるあの感覚は。こんな小説を二週間以内で読み終えることができる気がしない。二週間というのは図書館の返却期限のことで、期限があるとどうしてもそれまでに読まなきゃいけないと思ってしまう、小説を読みながら頭の中に期限がチラつく、そんな読書ほど嫌なものはない。小説が読みたいのか、それとも「その小説を読んだことがある」と言いたいのか、どっちなのか。後者なら意味がない。小説を読みたいというのは小説を読んでいたいということだ、だからこんなブログなんて書いていないで、誰かのブログなんか読んでいないで、小説を読め。三島由紀夫の『金閣寺』がおすすめだよ。あとは江國香織の『ウエハースの椅子』。絶望だからね。