牡蠣が食えたら

#牡蠣食えば のサブブログにしました。

この文章は50%の確率で面白いが、つまらない可能性も同じ確率で発生する

 リスクを取らない人の文章はツマラナイ、という文を最近読んだ気がする。実に結構なことである。私はブログを書くからには、人並には面白いことを書きたいと常日頃から思っているけれど、それ以上にリスクを取ることは大嫌いだ。怒られるのも謝るのも嫌いである、読者もできれば怒りたくはないことと思う。私はなるたけリスクを取らずに面白いものを書きたい。

 例えば同じくらいの面白さで、片方は40%の確率で大ウケするが40%の確率で炎上する、もう片方は10%の確率で大ウケし10%の確率で炎上する、という二つの記事があれば後者を書くことを選ぶ。ある文章がAさんにウケたがBさんに怒られたら、次はBさんにウケてAさんに怒られる文章を書いて平準化する。面白いときもつまらないときも、一定の面白さになるまでの文量を書き続ける、つまり時間を味方につける。

 これらは「リスクが高ければ高いほど、期待する面白さもより面白くなる」という前提に立っていることを我々は注意しなければならない。現実にはリスク度合いと面白さは必ずしも一致しない。面白さに反映されないリスクが存在する。

 面白い人がリスクを取っているように見えることと、リスクを取るから面白くなることは違うのであって、退場させられることを望まないのであれば、取る必要のないリスクを背負い込むことのないようにしなければいけないのである。

趣味の宝物を捨てられなければ、父親には向いていない。

大きな少年は父親へ。漫画、CD、高い服…宝物が赤ちゃんの"洗礼"にあって悟りを開く by ムーチョ - 赤すぐnet 妊娠・出産・育児 みんなの体験記

 少し前にTwitterを眺めていたら、はてなブログの公式アカウントから「たくさん読まれています」とサムネイル付きで流れてきたので読んだこの記事。内容はなんてことない、子供に本を破られましたというようなものだったが、後半部分に強い違和感を覚えて「あーこれは燃えてるのかもわからんなー」とブックマークコメント一覧を見てみようかと思ったらブックマーク数ゼロだった。そもそもはてなTwitterアカウントが流してくる「たくさん読まれています」がどういう基準でたくさん読まれているのかいつもわからない。ブクマ0はザラ、公開されたばかりでスターすら0の記事も多数、そんなにたくさん読まれている感じが全然しない。ソシャゲとジャニーズの記事ばかり流してくるのも止めて欲しい。

大きな少年は父親へ。漫画、CD、高い服…宝物が赤ちゃんの"洗礼"にあって悟りを開く by ムーチョ - 赤すぐnet 妊娠・出産・育児 みんなの体験記

子供の手の届く場所に放っておいた、壊されてもいい、というのは自分にとって"最初からその程度のものだった"ということ。趣味を捨てることが父親になることではない。

2016/03/16 13:38
b.hatena.ne.jp

 半ば脊髄反射的にコメントをして、そんなことも忘れていたら、今日になってそのブコメに「スターがつきました」の通知が立て続けにあった。見てみると上記の記事が俄に注目を集めていてブックマークも少し伸びているらしい。それでどんな記事だったかなと読み直してみたらやっぱりいい気分にならなかった。

 長い記事でもないので(というか4コマ漫画)1回読んで欲しいんですが、流れとしては、

子供が生まれた
→赤ちゃんが作者の大切にしていたもの(限定版のCD、絶版になった漫画本、AV機器、ブランドものの服など)を壊したり汚されたりする
→ついに「一生大切に持っていよう」と思っていた漫画本を破られる
→「なんでこんなものを異様なまでに大切にしてたんだろう」
→物への執着が無くなる
→いままでの自分は子を育てる親には向いていなかった

 というもの。

 特に違和感を覚える部分は後半部分、

ある時、本当に「一生大切持っていよう」と思っていた大切な漫画を破かれたんですね。
まあそもそも、それほど大事な漫画を、子供の手に届くところに置いてあったのが悪いんですけど、つい片付け忘れてしまった時がありまして。
それでハッと気づいたんです。
「なんでこんなものを異様なまでに大切にしてたんだろう」
と。
それ以来、憑き物が落ちたように、物に対するこだわりが無くなっていきました。
自宅に赤ちゃんがくるまで、僕はただ年齢を重ねただけの「大きな少年」だったように思います。
それが別に悪いということではないのですが、赤ちゃんを育てる立場としては、「少年」はあまり適していないんですね、きっと。

 ここのロジックは「物に対するこだわりがある人は”大きな少年”であり、赤ちゃんを育てるのは適さない」
 それは本当か?
趣味の物を大切にするのはそんなに「異様」なことなのか。むしろ「一生大切に持っていよう」と思う物の一つや二つ持っているのが趣味じゃないのか。趣味のもの、宝物を大切にすることは拘泥することとは違う。物を大切にする心は大人も子供もない。むしろ一生大切にしようという物さえ大切にできないようでは、自分の子供を大切にできるのだろうかと心配になる。

 ところで趣味は子供ができたら諦めなければならないことなのか。趣味を捨てなければ子育てはできないのか。そうは思わない。
 趣味を大切にすることと、子供を大切にすることの、その二つは別のもので、両立し得るもので、どちらがより大切かなどと比べるものではない。
 私は大切な物を持っているし、子供もいる。子供にその大切な物を壊されたら、私の場合はまだたまたま金で買える物だから、諦めはつくだろうけど、だからといってそれを「なんでこんなもの」とは思わない。仮に金を払っても二度と手に入らないもの(趣味の物はむしろこの類いの物が多いはず)であれば、壊されないように細心の注意はするだろう。それは子供より趣味の方が大切とか、またはその逆とか、そういう話ではない。
 ”専業主夫”を名乗る人が「父親になったら物へのこだわりを捨てろ」と言ってしまうの、キツいなーと思う。私が独身だったらそれを読んで「じゃあ子供はいらないや」と思ってしまうかもしれない。しかも独身男性にだけでなく、世の専業主婦に対しても「専業主婦(夫)なら物への執着を捨てろ」と言っているようにも聞こえてなおキツい。

 ここからは蛇足。これがこの人の個人ブログで個人的に書いているなら、まあこの人個人的な育児あるあるなんだろうなあ(実際には育児あるあるでも何でも無い。普通は大切なCDや本、フィギュアやAV機器を幼児の手の届くところに置かない、それは壊されないようにもあるが、第一に幼児の安全を考えてのこと)で済むんだけど、これが載っているのが「赤すぐ」とかいうサイトの「みんなの体験記」で、一応「本サイトに掲載の記事はすべて個人の体験に基づいた記事となっております。」とは書いてあるけど、まるで一般化された事例のように扱われて、これを読んだ妊娠中の人やその夫が「父親とはこういうものなんだ」と変に受け止めてしまって、これから父親になる人が思い悩んだり鉄道模型を捨てられたりする事件が起きたら不幸だなぁと思った。




鉄道模型趣味 2016年 04 月号 [雑誌]

鉄道模型趣味 2016年 04 月号 [雑誌]

今朝保育園に

 今朝保育園に子供を送りに行ったら、保育園が開くのは朝の7時半でそれよりも少し前に着いたので扉の前で少し待った。すると2つ上のクラスの女の子がお母さんに連れられてやってきた。その子、名前はあいかちゃんとかいったが、2歳か3歳だからもう歩けてお母さんともぎこちなく、3語くらいではあるが会話をしている。青いドキンちゃん(青いからドキンちゃんのきょうだいかもしれない)のポシェットを肩からかけている。
 その親子と待っていると遠くから、またあいかちゃんと同級生の何とかちゃん、名前は忘れたが仮にみさきちゃんとすると、みさきちゃんがお父さんと手を繋いで歩いてやってきた。朝7時半の開店と同時にやってくるメンバーは私達を入れてだいたいこの3組で、ここに集結した。息子は抱っこ紐に入って抱かれている。抱っこ紐のエルゴベビーを綺麗に畳む方法を昨日教えてもらった。購入してから1年が経過していた。エルゴベビーを使っているから金持ちだ、という難癖がこないだの「保育園落ちた日本死ね」につけられていたが、エルゴベビーは登山用品のゴアテックスみたいなもので、よくわからなくてもなんとなく良さそうという理由で使う人も多いのである。品質は悪いわけではなくてゴアテックスは品質はいい。
 あいかちゃんのお母さんが、
「みさきちゃんが来たよー」
 と自分の娘に声を掛けると、娘は二人に気づいて、
「みさきちゃんのお父さーん!」
 となぜかお父さんの方を呼んだ。
 お母さんは、
「みさきちゃんがいるんだからお父さんじゃなくてみさきちゃんを呼んであげようよ」
 と苦笑した。みさきちゃんのお父さんは自分の娘と同年代の女の子に親しげに声をかけられて嬉しかった。

 この話を帰ってから妻にしようかと思ったのに、私は帰りが遅かった。今日はつまらない飲み会だった。会社の人たちが騒いでいて笑っているのに、私は全然面白くなくて、どうしてこんなに面白くないのかと思ったが、酔っている人を相手に笑わせるのなんか大したことない、飲み会でいくら笑いをとったからといって自分を面白い人間だなどと思ってはいけない、面白いとはなにか、自分の面白いと思うこと、どうやったらそれを証明できるかを考えていた。ハイボールを飲んでいた。歓送迎会だった。
 60代の嘱託社員が「匿名ブログの日本死ね」の話をしていた。60代の男性の関心にまで届いているのか、と一瞬思ったが考えてみれば今60代と言えばもうネットだって40代くらいから使っているし、私の父親も60にそろそろなるが40代のころはパソコン教室をやっていた。60代と聞くとイメージするのはどうしても私が子供だった頃の60代、というと昭和10年代生まれの人たちを想像してしまうが、いまの60代はもっと若者と変わらない。この辺のことは、アラサーと聞くとアラサーという言葉が使われ始めた頃にアラサーだった世代の人達をいつまでもイメージしてしまうことに似ている。アラサーという言葉が使われ始めたのは2005年くらいらしく当時のアラサーは1975年生まれ界隈とすると今は40前後ということになる。アラサーと聞くといま30前後の私を含めた世代よりも、40前後の人たちのカルチャーという気がする。「団塊の世代」のようなものである。ゆとり世代でもいい。ゆとり世代特有の傾向というのは、私は中にいるからか全然わからないけれども。中にいると世代の傾向よりも個体差の方が激しく、バカはどの世代にいてもバカということにしかならない。60代は増田も書いている。60代が保育の話題に関心があるのはしかし驚きではあった。もっと上の70代80代の政治家が保育の話題に関心があるのだろうか。

ふくらんでいる

 番頭はこう言ったのだった。
「上高田というと線路の北ですか? ええ、住所です。あのあたりも随分と変わったでしょうね。はい、ああ私も、といってももう50年も前ですが、あそこの学校にいってたんですよ。ええ。もう学校は無くなりましたけど。南側ですか。住所でいうと。じゃあ線路からは大分離れますか。そうでもないですか。はい、中野の方まではいかないですね。北側は? 北側も上高田だったですね。まあ随分前のことですけどね。あちらは寒いですか」
 上高田というのは私のアパートの住所である。私は夕飯を食べ終わって何か酒のツマミとアイスでも買おうかと帳場の脇にあった売店に来て、辛口という柿の種と、アイスが挟まった最中を買おうとしていた。フロントと言えばいいのをわざわざ帳場と言うのは別に私は古い言葉を使いたいというのではなくて、玄関の靴を脱いで上がったところへ大きな字で「帳場」と書いてあったので帳場と言っているだけだ。

 私は『ふくらんでいる』というブログにもたまに文章を書いているが、先に書いたことはそこに書いたことのつづきである。『ふくらんでいる』にはたしか温泉旅館に行って、そこの温泉の温度がぬるかった、というところまで書いた。男湯の露天風呂は二つあって、ひとつはぬるく、もうひとつは熱かったが、内風呂から熱い露天風呂までは陸続きになっておらず、ぬるい風呂の湯の中をあるいて行かなければ往復できないから、行きは暖まる一方だからいいとしても、帰りは辛かった、ということも書いただろう。女風呂は露天風呂がひとつしかなかった。それはぬるかった。夜の7時半になると男女の風呂が入れ替わった。だから私は女風呂に入ってぬるさを確かめたわけではない。
 それから湯治についても、ゆっくり風呂に浸かって、部屋で寝て、また風呂に浸かって、あとは何もしない生活をしていたら、そりゃあ良くなるもんじゃないかと、そんな環境に自分の身を置くことができる時点で湯治はもはや半分完了しているようなものである。などと知ったような口を聞いた。この旅館はかつて湯治場で、温泉は目にいいとされているようである。宿に到着すると、まず始めに笹団子と、沸かした温泉の湯で淹れた茶をサーヴィスされた。目にいいから飲めと言う。目にいいと言われるとなんでもブルーベリーの味がしてしまう。たぶんメグスリノキでも入っていたのだろう。
 上野から新幹線に乗って、駅に着いたときにはパラパラと風花というのか、細かい雪が浮かぶように降っていた。駅前のバス停からバスに乗り、30分ほど山道を走ったところの停留所で降りると雪は強くなっていた。停留所の側には1台の小さなワゴン車が止められていた。ワゴン車に乗ってさらに山道を今度は沢に向かって急な坂を下る、下り坂では路肩の融雪パイプから常に水が吹き出している、水からは湯気が立っているからお湯かもしれない、下ると大きな石がゴロゴロ転がった河原に出る、川に掛かっている車1台分がようやく通れる幅の橋を渡りきったところに旅館がある、そのワゴン車を番頭が運転していた。番頭とはそれまで一度も話などしたことなく、もちろん住所なども言っていなかった。おおかた私の妻がチェックインのときに櫻井昌平という名前の隣に書いた住所でも目にしたのだろう。
 そのことはどうだっていい。番頭をやっていれば宿泊客の住所を目にすることもあるだろう。目にするどころか読みさえするだろう。顧客台帳に書き写したかもしれない。東京都中野区上高田か、上高田っていうと中央線の中野から少し北に行ったところだ。西武新宿線なら新井薬師前か、中井か、中井のあたりは新宿区だから沼袋かもしれない。とにかくそんなところだ。確か線路の北には哲学堂があった。駅前の踏切の道は中野通りで、まっすぐ南に行くと中野駅に着く、それよりも手前の早稲田通りと交差するよりも手前にある階段を昇ると新井薬師の裏の公園に出る。春になると公園と通り沿いの桜が満開になって綺麗だろう。そういえば新井薬師は目の病気にご利益があると言われているんだった。そう考えるといまの仕事とも関係があるのかもしれない。久しぶりに行ってみようか。などと考えていたっておかしくはない。

「もともと妻の実家が近くだったんですよ。だから私はあまり知らないんです。何しろ私は東京の生まれじゃないですから。私は東京というよりむしろこっちに近いくらいですよ。実家は群馬ですから。あそこのスキー場なんか子供のときよく連れてってもらいましたよ。今日も駅前のスキー場に行ってみたんですけど、客は少なくて、平らだから、僕なんかスキーやるから物足りないなあって思っちゃいますけど、というかもっといいスキー場はいっぱいありますよね、でも子供連れにはいいですね。レンタルの家の人も親切だったし。結構家族連れがいましたね、平日なのに」
 そんなことはいいからさっさと会計してくれ、と本当は言いたかったが言わなかった。私は寛容だからである。宿帳に書かれた客の住所を番頭が読んで何の問題があるだろう。読まれて困るなら偽名や嘘の住所でも書けばいい。これは旅館業法に違反する、別件逮捕の口実によく使われると刑事ドラマで見たことがある。そうではない、住所を見たっていいがそれを客に話すことが問題だろう。少なくとも私はいい気分はしなかった。いい気分がしなかったからといって何だというのだ。
 柿の種と妻のために買ったアイス最中の入った袋を提げて、部屋に戻ると妻は横になっていた。先ほどの話を妻にしようかと一瞬考えたがすぐにやめた。せっかく旅行に来ているのに気分の悪くなる話をわざわざして、二人して不機嫌になることなど無い。不機嫌になった体験を人に話して笑い話に昇華できるだけの余裕は、まだなかった。だからといって妻に言えなかったからこうやって書いているわけではない。だいたいこの話だって本当にあったことなのかもよくわからない。ワゴンを運転する番頭なんていなかったし、私は櫻井昌平などという名前ではない。

青春基地騒動でアカウント凍結していた@copy__writingが活動を再開

※雑なまとめです。

2016年1月に起きた「青春基地」騒動以来、凍結されていたのか自粛していたのかわからないが活動を停止していた、悪名高きTwitterアカウント @Copy__writingが、何事も無かったかのように活動を再開した様です。


1月28日以来更新が途絶えていたが、3月8日のこのツイートから1日10件弱のツイートを続けている。もちろん内容はこれまでと変わっていない。

青春基地騒動とは

10代の高校生が取材し記事を書くというコンセプトの「青春基地」というサイトで、
「@Copy_writing中の人インタビュー!「インターネットは、すべての話を良い方向に持って行こうとする傾向があるけど、暗いことは暗いことでいいじゃない、と言いたい」という記事が公開される。
seishun.style

私ども「青春基地」事務局の度重なる不適切な対応を重く受け止め、無期限休止させていただきます。
http://seishun.style

※青春基地は現在無期限休止中となっているようです。

内容は、記者の女子高校生が"前から憧れていた"@Copy__writingの中の人にインタビューしたというもの。当然パクツイを快く思わない人や実際に@Copy__writingの被害に遭ったことのある人たちから不興を買って炎上する。

炎上を受けて青春基地が謝罪文を公開、しかしこれが火に油を注ぐ形となってさらなる炎上を繰り返す。

騒動が広がるにつれ@Copy__writingの一部のフォロワー達が目を覚まし、次々とフォローを解除。一時は1秒あたり数百のフォロワー減少を招く。

数万単位の急激なフォロワー数減少を受けて、@Copy__writingはアカウントを凍結。


非常にざっくりなので、ちゃんと知りたい方は下記リンク先などをご参照ください。
実際に公開された青春基地の記事はhagexさんのブログに魚拓のリンクが貼られています。

hagex.hatenadiary.jp
nogreenplace.hateblo.jp
novtan.hatenablog.com
novtan.hatenablog.com

ほとぼりが冷めるのを待っていただけ

あの騒動があって@Copy__writingは活動を止めたけれど、Twitterにパクツイは無くならないし、それを有り難がってフォローしたりRTしたりするユーザーは必ずいて、@Copy__writingのようなパクツイアカウントが居なくなるなんてことは絶対にない。
@Copy__writingは別のアカウントを作って似たようなことをまた再開するのかと思っていたが、あの騒動で数万単位のフォロワーを失ったとしても彼には未だに100万以上のフォロワーがいるというのも事実で、新たにアカウントを作って始めるよりも既存のフォロワーを騙し続けたほうが手っ取り早いと考えたのだろう。
なにしろあんなことがあってもフォローし続けているフォロワーだから、パクリだろうがなんだろうが気にしないか、そもそも騒動にすら気づいてないに違いない。

3月8日のツイートに対するリプライを眺めていると本当に呆れてものが言えない。

Copy writingさんはTwitterを使っています: "四季の中で夏だけが「終わる」よね。冬は終わるんじゃなくて「春が来る」だし春も「夏が来る」。秋は「深まって」連続的に冬に変化する by 大山健"

これはひどい

2016/03/12 22:49
b.hatena.ne.jp

ぬるい

 今日はぬるい温泉に来ている。ぬるい。たぶん37度くらいしかない。露天風呂である。雪が降っている。ぬるい露天風呂に浸かるとぬるくてぬるいぬるま湯に浸かってる気分なる。ぬるま湯に浸かっている事実も得られる。ぬるい露天風呂の隣に熱い露天風呂がある。こっちは熱い。雪は降っている。熱い露天風呂は熱い。熱い露天風呂を出て中に入ろうとするとぬるい露天風呂を通っていかないといけないためぬるい。さっきよりもぬるい。腿から下がぬるい。腿から上はぬるい湯から出ている。ぬるい。雪が降っている。ぬるくなかった。雪は降っていなかった。