牡蠣が食えたら

#牡蠣食えば のサブブログにしました。

チューペット

fktackさんの今日の記事が面白かった。

それで休憩になると大人の集団は段ボールを持ってきて、中には凍らす前の棒アイスが入っていた。棒アイスというのは、凍らせた状態で真ん中で折り、すると折口はビニールがかかっていないからそこに口をつけてすするアイスで、私は正式名称を知らず、昔から棒アイス、と呼んでいたが人によってはポッキンアイスとか、チューベットとか、ちゅーちゅー呼んだりしていた。


fktackさんが棒アイスと呼んでいるそれは他にはポッキンアイスとかチューベットとかちゅーちゅーと呼ばれているそのアイスは私は子供の頃はチューペットと呼んでいた、ソーセージのような直径1.5cmのビニールのジュース入りの筒が真ん中の部分ですぼまっていて凍らせるとアイスキャンデーになるもので、食べるときはパピコのように半解凍の状態で端をパキッと割り、割れた穴から啜って食べた。端を割るのは上手くいかないことがあって、それはヒーロー戦隊ものやセーラームーンの描かれた魚肉ソーセージのフイルムの開けにくさにも似ていた。チューペットは常温ではただの甘いフルーツの香料の味のする液体で、まずくて、そのまま飲みたいとは思わなかった。
 チューペットと呼ばれる菓子、アイスはこの細長い冷凍用のジュース入りのチューブだけでなくて、もっと太いパピコのような形をしながらパピコよりも太いがペットボトルよりは細い、1本でパッケージに入れられて味はコーラやポカリスエットやオレンジジュースのあった、基本的には冷凍して食べるが常温でも食べられていた菓子もチューペットと呼ばれていたが私は買ったことがない。


私は棒アイスは幼い頃は喜んで食べたものだが、少し大きくなると、味や外観に芸がないから、すっかり物足りなくなり、あまり食べなくなった。

 fktackさんの書かれていることは事実だが、子供の私はチューペットを見てもこんなことは考えもせず、しかし大人になったいまの私はここに書かれていることはまったくその通りでいま思い返してみれば至極真っ当なのだが、当時の私はこんなこと考えたこともなかったはずである。幼い頃の記憶なのに現在の大人の視点が持ち込まれているように感じる。
 かといって子供のfktackさんがこれを考えていたはずがない、と言いたいわけではない。ここに書かれていることはリアリティがあって大人の私は確かにこう思うはずなのに記憶を辿ってみたとしても子供の私は考えてもいなかったが、いま思えばむしろ考えないことがおかしいくらいありそうなことで、それが面白い。

五月晴れ

結婚式で六本木の某外資系ホテルへ行きました。


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特別警戒中。


六本木の外資系といえばここと、もうひとつビスケットみたいな名前のホテルがありますが、なぜかいつもこちらのホテルばかりでビスケットの方は行ったことがありません。誰かペア宿泊券ください。



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扉です。

日比谷線六本木駅から歩いていくと長いエスカレーターがあるので昇って右に行くと建物の入り口があるので入ってさらに右に歩いていくとある短いエスカレーターを降りると建物の入り口の扉がありました。ここは外でしょうか中でしょうか。この扉は真ん中が開くものだと思って立っていたら開かなかった扉です。
おそらくここはメインのエントランスではないVIP用あるいは裏口っぽい車寄せにあるので、1人が通れるサイズの小さい自動扉しかありませんがボーイはいました。裏口とはいえ駅から歩いてくる最短距離のルートではあるのですが、こういうところに泊まるときはタクシーで来いということでしょうか。

ここに限らず最近の商業施設は先が見通せないように作られているのでわかりにくいという特徴があります。築10年以上経過した商業施設を最近と呼ぶかは考え方によります。結婚式場は商業施設に入りますか?私は入ります。ついでに古い施設も頻繁にテナントの入れ替えや配置替えをしてわかりにくさの維持に余念がないので、行くたびに新たな発見を強いられます。


ところで結婚式です。チャペルと同じフロアに控え室がありました。控え室で控えているとウーロン茶を無料でくれましたが暇なのでフロアを見ていきます。

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あ、ゲーセンのメダルゲームだ。

私は煙草は吸わないのですが喫煙室にも行ってみました。同じフロアにある喫煙室には煙が漏れないように風除室というか前室があり、そのためエレベーターホールに煙や臭いが漏れません。私は煙草の臭いが嫌いで煙草臭い商業施設はもっと嫌いなので工夫されているなと思いました。皆さんも工夫しましょう。


チャペルに入ると神父は白人男性でしたがとても流暢な日本語でした。言葉使いも現代風というか易しい感じでしたが最近はどこもそうなのでしょうか。

例えばよくある誓いの言葉の
「健やかなるときも、病めるときも」
というくだりは、
「健康なときも、そうでないときも」
と言っていました。わかりやすいですね。

新郎新婦は幸せそうでした。おめでとうございます。

『ロクス・ソルス』を読み始めた

 昨日からレーモンルーセルの『ロクス・ソルス』を読んでいる。以前途中まで読んで飽きてやめてしまったこの小説を最後まで読み通したいとずっと心残りでいたので、今年は読もうと思っていたのだけれど、なかなか手をつけられずにいたが昨日ふと思い立ってページをめくってみたらこれが結構面白くてすんなり入っていくことができた。

 といってもすんなり読めたのは始めだけで、第三章の呼吸できる水が貯められた水槽の中で浮かんだり沈んだりを繰り返す7種類の機械人形の説明が長くて長くて退屈になってしまった。この小説はそこに至るまでもとにかく長い。わざと難解ないままで誰も目にしたことのない機械装置や芸術品やその他の珍品を創造したのちそれについて細かい細かい説明を繰り返し繰り返し記述している。一見無駄に見えることまで全て説明し尽くそうと、というより作者が飽きるまで説明しようとする文章が続いていてすぐに退屈になる。退屈になっても構わない、読者が退屈になろうが関係ない、作者が飽きたところがこの小説の終わりだ、とルーセルが言ったのかはわからないが、そんなようなものを感じる。

 退屈で退屈で仕方ない小説にも関わらず平凡社ライブラリー版はしかし上手くできているなと思ったのは、序章に登場する石龕に安置された同盟者の像とその石龕の彫刻についての説明、由来の記述はあとに登場する品々の説明よりも簡潔で面白く、といっても退屈なぶぶんもあるのだけれどその説明を読むことが後の長々とした文章を読む訓練、チュートリアルになっているのに続き、第二章では色とりどりの抜いた人間の歯を使って飛翔しながらモザイク画を描く機械の解説が始まり、これがまたかなり退屈なのだが、表紙を見るとその機械のイラストとモザイク画とその由来のイラストが描かれているため、文章と交互に比べながら読み進めることができる。これがチュートリアルその2となる。正直序章までなら想像力を働かせながら楽しく愉快に読むことができたけれど、第二章は表紙なしに読むのは辛かった。貧弱な想像力を呪いたい。撞槌ってなんだよ。

 ここまでで頭を少しずつロクス・ソルスモードに馴らしていって漸く第三章に挑めるのだが、第三章も途中でタツノオトシゴが競馬をするシーンなどは退屈で仕方ない。そこで大方読み飛ばしてしまい、いまは第四章のガラスの檻の中で演じられる芝居のようなシーンを読んでいる。そして第四章がとてつもなく長い! 第三章を苦労して読めたとして第四章を読み通すのは相当困難ではないだろうか。

 ロクス・ソルスが退屈で読みにくいのは一つは翻訳小説であることと、もう一つは話の中に出てくる装置のタネが、現代の科学技術では考えられない内容であり、例えば水の中で呼吸ができるとか、正確な時刻で風向きを予測できる気象学など、常識で考えるとあり得ないことしかないので、つい常識や先入観を持って読んでしまう私はすんなり受け入れにくい。たぶんこの小説を読むコツは常識や知識を投げ打って、意識の表層を一枚二枚と剥がしていき、もっとより原始的なところで、頭の中を無にしてありのままを受け入れていくことだ。頭を空にしたい。だからロクス・ソルスを読む。


ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)

ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)