牡蠣が食えたら

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モロイを読みながら③

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 「モロイ」は読み終わったのだけれど、一度通読しただけで終わりにしてしまうのも心惜しい気もして、かといってすぐに頭から読み始めるというのもなかなか気乗りもせず、しかし借りている本は図書館で借りたものだから返さなければいけないので、やっぱり「モロイ」を買うことにした。
 とはいっても絶版だし、簡単に手に入るものではない、とわかってはいたけど大きめの書店へ行って新刊がないかつい探してしまって、もちろん「モロイ」は見つからない。そのうえ書店に行くと目当ての本が見つからなくてもつい長居してしまって時間ばかりが過ぎてしまう。「モロイ」は売っていないがベケットの本は幾つか売っているようだ。特に書肆山田という出版社の「りぶるどるしおる」というシリーズから数冊出版されている。「りぶるどるしおる」を私はさっきまで「りぶる・どる・しおる」だと思っていて全然意味がわからなかったのだが、調べたらle livre de lucioleのことだった。「るりぶるどりゅしおる」ではないらしい。そんなわけで結局日本語訳の新刊は見つからなかったのだけれど、英訳された「モロイ」はペーパーバックを神保町の三省堂書店で見つけたが2,500円もするのでいずれ気が向いたら読んでみたいけれど、英語の小説を読むには私は辞書が欠かせないのでKindleで読むかもしれない。
 それから古本屋を何軒かまわって、写真の「モロイ」を見つけて買った。白水社から1969年に出版されたもので、訳者は安堂信也、おそらく1995年に復刊されたものと内容は同じだろう。山下澄人が感想を書いているのもこの安堂信也版だと思われる。私は私が読んだことのある「モロイ」よりはこの安堂信也訳の「モロイ」の方が幾分読みやすいのではと感じた。前々回にも書いたように私が読んだのは集英社から1969年に出版されたもので、訳は三輪秀彦である。翻訳者が異なるので当然文章も違っている、パラパラめくった限りでは例えば三輪訳ではガベルという名前だったモランの上司ユーディの使者は安堂訳ではゲイバーとされている、などは固有名詞をどうカタカナに変換するかであってカルシウムをカルシュームと書くくらいの違いでしかないが、それ以前の問題として文体全てが異なっている、従ってまた新たな心持ちで読むことができるのである、できるというか古本しか手に入らないのだからそうするしかないだけなのだが、そうやって古本を買う口実にしている、とも言える。でもそれほど高かったとも言えない。1970年台に定価800円だったものが1200円だったのだから。Amazonマーケットプレイスの方が余程高い。結局本を買ったというだけの話になってしまった。